◆裁判所の決定を受けて新宿では何とか開催
私は解決方法を探して弁護士に相談した結果、裁判所に仮処分申立を行うことに決めた。そして、多くの人の協力のもとで、新宿ニコンサロンで何とか写真展を開催するに至った。
しかし、ニコンは裁判所の法的決定(契約にもとづく施設使用命令)に従い、会場を「仮に使用させる」だけであり、それ以外は協力しない姿勢を貫いた。写真展開催中、露骨に写真展を妨害する行為を始めた。ニコン側の弁護士と職員は、撮影と録音、過度の警備を行い、来場者たちの身体・所持品検査を毎日行っていた。ニコンのホームページやニコンサロンの入ったビルには、どこにも「安世鴻写真展」の案内や告知を見つけることはできなかった。
裁判所に提出されたニコンの答弁書によると、元日本軍「慰安婦」をテーマにした私の写真表現活動が、「政治的である」として、それを中止理由としている。
しかし、これはニコン自らが政治的な理由によって下した〝介入〟だったのではなかろうか。
ニコンには写真展の開催中止を求める抗議電話やメールが多数寄せられたという。その中には「ニコンの株主も含まれていた」と答弁書に書いてある。
ニコンという企業の歴史をたどると、戦前から「大軍需会社」の戦犯企業、三菱グループの一員である。私の写真展を紹介する記事が掲載されたのは5月19日付の朝日新聞(名古屋本社版)だが、写真展中止通告を受けた直後の5月24日には、三菱挺身隊強制労働の損害賠償を求める裁判の判決が出されている。
それを機に名古屋三菱朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支える会の抗議も行われている。5月19日の記事掲載以降、インターネットや電話で、ニコンに対して写真展への抗議が始まった。当初、ニコンの中止通告はその抗議を受けて、ニコン内部で判断された、いわゆる「自粛」と思われた。
しかし、中止通告の背景には、ニコンの企業としての歴史的経緯による何らかの「政治判断」が、ニコン上層部内で秘密裏に行われたのではないかと私は推測している。
このような状況の中でも、2週間で7900名の来場者(=筆者調べ)が新宿ニコンサロンを訪れた。カメラを生産する企業ニコンが写真展を中止し、表現の自由が侵されようとしていることに対して多くの人々が憤り、抗議した。ニコンの対応は、写真史上に大きな汚点を残すものだった。
だが、この中止騒動は、心ある写真家たちと市民たちにとって、逆に「表現の自由」への意識を深めたともいえるかもしれない。(原文は韓国語)
(続く)
※月刊「創」12年12月号に掲載した原稿に、一部加筆・追加しました。
※安さんは写真展中止の真相を求め、ニコンを提訴中です。第二回口頭弁論が5月13日午後2時より行われます。
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安世鴻(アン・セホン)さんのインタビュー動画(05:47)
安世鴻(アン・セホン)さんの抗議の記者会見動画(56:49)