新宿ニコンサロンの写真展は裁判所の仮処分決定を経て何とか開催されたが、大阪では中止になった。右翼団体の激しい攻撃を受け続ける写真家の安世鴻(アン・セホン)さんが手記を寄せた。
◆地元市民の協力で写真展を開催
東京での二度の写真展と、大阪での写真展とを合わせて、合計1万人を超える来場者が訪れた。何よりも、練馬と大阪で、市民の力でもって写真展を運営・開催することができたということが、私には心強く、励まされる日々だった。
戦争を経験した世代から、「慰安婦」を知らない世代に至るまで、幅広い年齢層の人々が写真展を訪れてくれた。そのアンケート・感想の一部を紹介する。
「ここで展示された写真が問題とあれば、フォトジャーナリストの方々の写真など、どこにも展示できないと思う」
「今回の理念なきNIKONの対応には心底がっかりです。いつも同行する一眼レフは恥ずかしくて携帯できませんでした。」
「本来はこの写真を誰がとるべきだったのだろうか。ハルモニたちの声を誰が聞き集めるべきだったのだろうか。私たち日本人の代わりに努力して下さったフォトグラファーを尊敬しています」
一方で、会場アンケートの中にも、慰安婦を否定し、誹謗・中傷・差別的発言を書きなぐったものもあった。その中でも共通している言葉は、やはり「売春婦」「ねつ造」「朝鮮人は帰れ」などだ。
「従軍慰安婦はありません。追軍売春婦です」
「慰安婦はいなかった。うそつきチョン」
「マッタクノデタラメ ねつ造写真だらけ 従軍の証拠なし」
「在日野良人は一匹残らず日本から世界から出てゆけ 棄民!パンチョッパリ!寄生虫」
私はあくまでも写真家であり、政治的立場や活動として自分の写真を発表してきたことはない。あのハルモニたちが70余年もの間、苦しみを解くことができずに幾重にも重なった胸の奥深く固まった恨(ハン)を、私が撮影した写真で、多くの人たちに知ってほしかっただけだ。
写真展タイトルにあるように、日本の軍国主義は力の無い女性たちを戦争の最前線に追いやり、軍隊の命令の下で「慰安婦」を集め、日本軍の性奴隷として扱った。今もなお、多くの日本人たちは彼女たちを"売春婦"として扱い、歴史を歪曲していることには怒りを禁じえない。
写真展がニコンの審査員たちによって選考されたにもかかわらず、その決定に反して写真展をニコンは中止した。ニコンサロンの設立趣旨は、「写真文化の向上」だという。
しかし、ニコンは写真展中止の"本当の理由"を明かすことなく、沈黙と拒否を貫き、自らの設立理念を放棄している。もちろん、ニコンサロンの設立はニコンという企業によってなされたものであるが、それを守って来たのは写真家と写真を愛する人々の協力と共感があったからこそではないのだろうか。
彼らを切り捨て、ニコンはいったいいま何を守ろうとしているのか。写真表現に対する評価とは、その写真を観た不特定多数の人たちによって、自由に批評されなくてはならない。その前提機会をニコン自らが「政治的に」奪い取ったのである。
こうした事態に対して、海外メディアと日本のメディアでは大きな温度差があった。早くから欧米と韓国メディアが大きく取り上げた一方で、日本のメディアでは朝日新聞が継続して報道したほかは、新聞では毎日新聞と東京新聞が少し取り上げたぐらいだった。「慰安婦」問題が関わっているからなのか、特にテレビ局は反応が薄かったといえる。
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