立岩陽一郎(ジャーナリスト)

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【連載開始にあたって編集部】
新聞、テレビなどマスメディアの凋落と衰退が伝えられる米国。経営不振で多くの新聞が廃刊となりジャーナリストが解雇の憂き目にさらされるなど、米メディアはドラスティックな構造変化の只中にある。 いったい、これから米国ジャーナリズムはどこに向かうのか。米国に一年滞在して取材した 立岩陽一郎氏の報告を連載する

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第2章 非営利ジャーナリズムの夜明け

スティールさんとバーレットさん
スティールさんとバーレットさん

「よく来たね。この辺はわかりにくいだろう。ワシントンDCと違って、ここは昔からの古い街だから、ごちゃごちゃしていてね」
フィラデルフィアの住宅街。長屋と言っては失礼だが、ヨーロッパ的な向こう三軒両隣と言った感じの古い住宅の密集した一角にその人の家はあった。お目当ては、IRW(Investigative Reporting Workshop)を、そしてIRW代表のルイス(Charles Lewis)を語る上で、どうしても会わなければいけない人。
「この家は建って120年になるんだ。私たちが購入したのは40年前、新聞記者だった頃だがね」
今も現役にこだわるこの道40年余りのベテラン・ジャーナリストは、夫人とともに私を温かく迎え入れてくれた。

ジェームズ・スティール(James Steal)。米国における伝説の調査報道ジャーナリストの1人だ。
「ドンの家には後で一緒に行こう」
ドンとは、ドナルド・バーレット(Donald Barlett)。スティールの相棒だ。この2人はチームを組んでフィラデルフィア・インクアイアー紙(The Philadelphia Inquirer)の調査報道査をリードした。

その代表作としてあまりにも有名なのが、連載企画「America: What Went Wrong?(米国は何を間違えたのか?)」だ。
1980代に実施された米国の様々な政策がどのように中流の没落、格差社会を生んだかを詳細なデータであぶり出した労作だ。例えば1986に実施された減税について、誰がどのくらい利益を得たのかをIRS(米内国歳入庁)の資料などから導き出している。

そこでは、全米で支持されたその政策が、年収1万ドルから2万ドルの人で、平均で69ドルしか減税にならなかったものが、100万ドル以上の年収を稼ぐ人には、平均で28万1033ドルの減税になったこと、その減税額は比率で見ても、6%から31%と大きく差が有ったことを明らかにした。

また、1980年代の10年間で年収2万ドルから5万ドルのサラリーの人の収入が44%増えたのに対して、100万ドル以上のサラリーを得ている人の収入が2184%も増えていたことも明らかにし、政策が過度に富裕層を優遇したもので、結果的に、その後の景気の低迷とともに、中流が崩壊していく様を描き出した。

当時、この連載を読むためにフィラデルフィア・インクアイアー社の前に長蛇の列が出来たというエピソードまである。一連の調査報道で2人はピューリッツァー賞を受賞している。連載をまとめた著書はベストセラーとなり、今でもジャーナリストの教科書として広く読まれている。

私が彼らをフィラデルフィアに尋ねたのは、2011年4月のことだ。それは、ルイスがあるプロジェクトを始めたと知ったからだった。
「What went wrong with America?・・・米国は何を間違えたのか?これは1980代のこの国を語る象徴的な言葉だった。

しかし、それは終わった話だろうか。私はそうは思わない。スティールとバーレットが描いた時代は、まだ『?』がついていた。今はどうだろうか。『?』はつける必要がないだろう。中流は完全に没落した。富める者はかつてないほど富み、ホームレスは更に増えている。それは確定的であり、明らかに米国は間違えた。それを彼らと我々とでもう一度調査報道してみたい」

スティールとバーレットが新聞に連載したのは1991年のことだ。それから20年が経っている。その20年に何が行われ、何が更に失われたのか。ベテラン・ジャーナリストとIRWの若いジャーナリストとで共同で解き明かそうという試みだ。

スティールらが記事を書いた際に集めた資料を、そのままIRWのあるアメリカン大学が保管することも既に決まったという。ここにルイスのジャーナリストとしての良識を見る思いがする。というのは、スティールとバーレットは連載が終了した後、フィラデルフィア・インクアイアーを辞めて、雑誌のタイム(The Time)に移籍している。新聞社の側の都合だった。経費削減が求められる中で、金がかかる調査報道を抱えられなくなったという典型的なケースだ。

ところが、タイムも2人の調査報道記者を常勤としては雇えなくなる。今、2人は最新ファッションから社会問題まで幅広く扱うバニティー・アフェア(Vanity Fair)の契約ジャーナリストとして取材を続けているが、当時の取材記録などは自宅近くに2人で借りている倉庫に放り込んだままの状態だという。

このままでは、2人が集めた貴重な記録が判読不能になってしまう。ルイスはプロジェクトの目玉の1つとして、取材の記録を大学に保管することを思いつき、2人に提案した。2人が賛同したことは言うまでもない。

夫人も交えて日本大震災について語り合った後、スティールの車で、15分ほどのところにあるバーレットの自宅へ行った。2人揃ったところで、ルイスの提案について尋ねた。
「素晴らしい提案だし、我々も有難いと思っている。膨大な記録が段ボール箱に入ったまま、僕らもどうなっているのかわからない状態。本当に、チャック(=ルイス)からその話を聞いた時は、素晴らしいと小躍りしたよ」とバーレット。

プロジェクト全体についても尋ねてみた。
「日本には温故知新という言葉があります。それを地で行くような話かと思いました」

「そういう言葉が日本には有るのか。本当にそうだと思う。メディアは日々進化していかねばならない。でも、根幹のジャーナリズムの部分はいつの時代も共有できるものだと思う。私だって、PCを使い、タブレットを使い、その上、キンドルを使っている。でも、調査報道は常にデータとのにらめっこだ。その入手の仕方は変わったが、入手して読み込んで真実に迫るという姿に変化はない」とスティール。

スティールは「America: What Went Wrong?」が出版された後、日本を取材している。実は、この連載の時期は、日本の経済力が米国を脅かしていた時代だ。著書の中にも、日本によって米国の雇用が奪われる様が出てくる。

「東日本大震災は本当にショックだった。日本人がこういうひどい目に遭わねばならないというのは、とても理不尽だ。私が見た日本は高度に洗礼された理想郷のような世界だった」

スティールの日本びいきは言葉だけでなく、自宅には夫人とともに集めたという日本画がいくつか飾られていた。

バーレットが新聞を持ってきた。その日のフィラデルフィア・インクアイアーだった。ページを開くと、2人が取材に応じている写真。タイトルは、「'91 Report Bears Repeating」。「1991年の連載記事再び」と言うことだろう。副題には、「なぜ2人のジャーナリストは中流の崩壊を再び調査報道するのか?」と書かれている。追い出した形とは言え、彼らの業績がこの新聞社にとって今も誇らしいものであることがうかがわれる。

2人のベテラン・ジャーナリストとIRWの若いジャーナリストの共同作業。既に始まっているそのプロジェクトは、今、IRWのウエブサイトで読むことができる。
http://americawhatwentwrong.org/
タイトルは「What Went Wrong」。そこには、91年にはあった「?」は書かれていない。

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