◆妻をイランに呼び寄せる
イランに住み始めて4ヶ月が過ぎた6月、配偶者ビザがやっと認められ、私は妻をイランに呼び寄せた。
彼女とは8年の同棲の末に、私が日本を発つ一ヶ月前に籍を入れた。イラン留学を控えて余裕のなかった私は、式を挙げることもなく入籍だけ済まし、あげく彼女を一人日本に残してイラン入りしていたのだ。
妻にとってイランは、イラクとの違いも分からないほど未知の土地だった。首都といっても、テヘランなど所詮、砂埃の舞う辺鄙な田舎町程度にしか思っていなかった。
成田空港では、号泣しながら家族や友人と今生のお別れを交わし、不安におののきながらイラン航空機に乗り込んだ。ボーイング747spという骨董品のようなその機体が、さらに不安を煽った。
しかし、およそ10時間余の空の旅を終え、機体が夜のテヘラン上空に差し掛かったとき、真っ暗な大地に砂金をばら撒いたかのような壮大な夜景に目を見張ったという。日本の夜景とは違う、オレンジ色単色の夜景は、私が四ヶ月前に目にしたときも、全ての不安を打ち消してしまうほどの美しさだった。
テヘラン・メフラバード空港に降り立った妻は、足首、手首まで覆うダボダボの真っ黒なワンピースを着ており、まるで黒魔術の祈祷師のようだった。イランでの生活のために友達が作ってくれた特製のワンピースだった。
妻は日本を発つ前、イランにどんな服装で行ったらいいのかとても悩んでいた。この国では、女性は髪の毛や身体のラインを隠す、イスラムに則った服装規定があり、イスラム教徒でない外国人女性もそれに従わなければならないからだ。
私は日本にいる妻に、イランでの女性の服装規定、つまり、守らなければならない最低限の基準をメールで伝えていた。素足を出すのは厳禁。身体のラインを隠し、丈は完全にお尻を覆えるような上着を着なければならず、袖は七分丈以上、もちろん頭部はスカーフで覆う。
しかし、いくら言葉で説明しても、「よく分からない!」と妻は不安をあらわにしたメールをよく寄こしてきた。服装規定に反すれば、空港での入国もひと悶着起きかねない。そのことを案じた妻は、私に街中のイラン女性をデジカメで撮影し、その画像をメールで送るよう要請してきた。私は町行くイランのOLや女子学生をこそこそと盗撮しては、それを妻に送ったが、それでもピンと来なかったという。そんな妻の不安を耳にした友人が、「これやったら間違いない!」と手作りしてくれたのが、そのワンピースだった。
妻はこのワンピースのおかげで無事入国審査を通過し、到着ロビーに現れた。イスラム原理主義者も一目置くような黒装束姿に目を丸くしたのは私だけで、周囲のイラン人たちは、彼女に好奇な視線を向けてはいないようだった。イスラム圏の国際空港では往々にして、様々な国のイスラム教徒女性が独自の民族衣装で闊歩している。
妻もまた、一部の隙もない、どこかの国のイスラム女性と思われたのだろう。私の目には、妻に対するあらゆる邪視をはねつける魔法のコートのように映った。