帰還避難民のファディアさん(右)と夫は中学校だった建物に暮らして10年になる。強制立ち退きの噂が流れ、おびえながら暮らす(2013年4月撮影:玉本英子)

 

当時、ともに帰還し、中学校跡地で避難暮らしをしていた70世帯は、それぞれ、つてを頼って去っていった。フセイン政権崩壊の年に生まれたファディアさんの一番下の子は10才になった。病気がちの63歳の夫には仕事がない。17歳の長男が屋台で野菜を売るなどして、1日8000ディナール(約650円)を得る。一家が生活できるギリギリの金額だ。

キルクーク県は建物を「不法占拠」する帰還住民に対し、一世帯あたり500万ディナール(約45万円)を支給することを条件に立ち退くことを求めている。だが、これは1年分の家賃に相当する金額にしかならず、移転先が紹介されるわけではない。このため、ファジラさん一家は受け取りを拒んでいる。

「フセイン政権が崩壊したとき、やっと故郷に戻れると家族が抱きあって喜んだ。しかし帰還できても、心が安らぐ日は一日もなかった」
ファジラさんは肩を落とす。

一週間ほど前にも警察が来て、ここから出て行けと迫られたという。強制排除の日も近い、という噂も流れ、ファディアさんは日々おびえながら暮らしている。
【玉本英子・キルクーク】

【フセイン政権時代のアラブ化政策】
油田都市キルクークにはクルド人、アラブ人、スンニ派、シーア派、トルコ系トルコマン、キリスト教徒などさまざまな民族や宗派が混住する。旧フセイン政権は、キルクークで人口の多数を占めていたクルド人やトルコ系住民(トルコマン)を、不毛の土漠地帯や、数百キロ離れた南部の地方都市などに強制的に移住させ、代わりにアラブ人のキルクーク入植を奨励した。民族独立意識が強いクルド人を追い出し、町の民族構成を変えることが目的だったといわれる。移住と追放の過程で数百ものクルド村が破壊された。移住政策によってイラク北部全体で100万におよぶ人びとが土地を追われたとされる。

 

<<< 第5回  

<玉本英子のイラク報告>6 旧政権の強制移住政策の爪痕いまも
<玉本英子のイラク報告>5 キルクーク・治安悪化に募る住民の不安
<玉本英子のイラク報告>4 キリスト教徒の通訳の家で
<玉本英子のイラク報告>3 治安改善の北部にシリア難民の姿
<玉本英子のイラク報告>2 平和を願うダンス大会に6000人
<玉本英子のイラク報告>1 自爆攻撃の犠牲者家族を訪ねて(全6回)

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