当時、ともに帰還し、中学校跡地で避難暮らしをしていた70世帯は、それぞれ、つてを頼って去っていった。フセイン政権崩壊の年に生まれたファディアさんの一番下の子は10才になった。病気がちの63歳の夫には仕事がない。17歳の長男が屋台で野菜を売るなどして、1日8000ディナール(約650円)を得る。一家が生活できるギリギリの金額だ。
キルクーク県は建物を「不法占拠」する帰還住民に対し、一世帯あたり500万ディナール(約45万円)を支給することを条件に立ち退くことを求めている。だが、これは1年分の家賃に相当する金額にしかならず、移転先が紹介されるわけではない。このため、ファジラさん一家は受け取りを拒んでいる。
「フセイン政権が崩壊したとき、やっと故郷に戻れると家族が抱きあって喜んだ。しかし帰還できても、心が安らぐ日は一日もなかった」
ファジラさんは肩を落とす。
一週間ほど前にも警察が来て、ここから出て行けと迫られたという。強制排除の日も近い、という噂も流れ、ファディアさんは日々おびえながら暮らしている。
【玉本英子・キルクーク】
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