京都だけでも700人を超す避難者が暮らす。その多くが住まいの公的支援の行方に不安を抱いているという。いまも、光熱費にはじまり全てを自力でまかなわねばならない。特に国や東電の補償もほとんどない自主避難者は苦境にある。子育て中の母親はもちろん、40代、50代と年齢が上がるほど職探しも難しい。
国の「収束宣言」とは裏腹に、福島第一原発はいまも不安定なまま、日々放射能を吐き続けている。一方で福島の避難区域は再編され、国が早期帰還者に補助金の拠出を検討するなど帰県を促している。
「福島の人たちは閉じ込められ、被ばくさせられたと思う。最初は、まさかこんな国だと思ってなくて。でも、それは自分たちの無関心が講じたものだと気づきました。もう国や行政を一切信用しない。命は自分で守らねばと、疑ってかかるようになりました」
水俣病などの被害者もこうやって痛めつけられてきたのだと想像が及ぶようになった。
「悔しい。同じことを繰り返さないためにも、声を上げ続けなくてはと思っています」
この日、街頭に立った齋藤夕香さん(40)も福島市出身。京都に避難したのは昨年1月。1年近く葛藤しての決断だった。子ども4人のうち下の3人が一緒。高校生の長女は転校を拒み、祖父母と残った。夫は中国地方で単身赴任。実質的な「三重生活」だ。
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