4月13日に東京・渋谷で開かれた、ミャンマーの最大野党・国民民主連盟(NLD)党首のアウンサンスーチー氏と在日ミャンマー人との対話集会では、スーチー氏の冒頭演説の後、質疑応答が行われました。その模様を再現、全文を連載します。今回はその4回目。
取材・訳 赤津陽治

在日ミャンマー人の質問に答えるスーチー氏(2013年4月13日 東京・渋谷)
在日ミャンマー人の質問に答えるスーチー氏(2013年4月13日 東京・渋谷)

 

質問
ニャウンダビン会議(=国民会議)から始まった「2008年憲法」を廃止し、すべての民族が切望している「真の連邦制、自決権の国民のための憲法」を、2015年の総選挙後、完全に新しい憲法として起草することは可能でしょうか。国旗、正式な国名、首都など。

ASSK
私に質問をしてくださり、ありがとうございます。しかし、もう少しきれいな字で書いてください。申し上げるのが遅くなりましたが。
私は冒頭で憲法についてすでに話しました。そのときに、「すべての民族が受け入れられる憲法が必要である」と。それについて私は言いました。

起草する者たち、起草するグループに誰が含まれているのか。「含まれている人は、国民の大多数に受け入れられる人でなければならない」ということは、すべての民族が尊敬し信頼できる者たちが含まれていなければなりません。

そうして初めて、私たちは真の連邦制を建設することができるのです。2015年の選挙後に完全にできるかということですが、私の考えでは、2015年よりも前にやった方が良いと思います。

外国からの来賓にしばしば聞かれます。「2015年の選挙は自由で公正なものになると思うか」と尋ねられます。私は言っています。「2015年の選挙は、自由という面ではそれほど問題が起こるとは思わないが、この『2008年憲法』のままでは、公正だとは決して言うことはできない」と。国旗や正式な国名、首都も、国民の意向に沿って定めなければならないことです。
※スーチー氏の発言を訳すにあたって、原語が「バマー」のときは「ビルマ」、原語が「ミャンマー」のときは「ミャンマー」とする原則に従って、表記しています。

長年にわたって、政府当局と私たち国民民主連盟(NLD)との間で、合意できなかったことのひとつ、ずっと対立してきたことに、ミャンマー・ナインガン(=ミャンマー国)を外国にて英語で呼ぶときに、「Myanmar」と呼ぶのか、「Burma」と呼ぶのかという問題があります。私が「Burma」と呼ぶので、政府はあまり快く思っていません。

聴衆
誰が正しいのですか?

ASSK
誰が正しくて、誰が間違っているのかは、各自が自分で判断しないといけません。私はただ自分の見解を述べます。
「ミャンマー国」をビルマ(=原語では、バマー)語で話しているときに「ミャンマー」と言うならば、私は何も否定しません。私自身も「ミャンマー」と呼ぶし、「ミャンマー国」と呼んでいます。ミャンマー語で話しているのに「Burma」と言っている人はただ偉そうにしているだけだと私は思います。これは別の話です。

しかし、英語で話しているとき、私がどうして「Burma」を用い続けるかといいますと、ひとつ目の理由は、「Burma」から「Myanmar」に名前を変えた際に、国民の意思を考慮し聞くことはまったくなかったからです。国民が賛成か反対かということをまったく聞くことなく、統治者が勝手に決めて変えてしまったのです。それが、私が最も好ましく思わない点です。

第2に、理由に根拠がありません。根拠がないというのは、「Burma」というのはビルマ族だけのことを指す。「Myanmar」というのはすべての民族が含まれるといいます。それも正しくありません。

「ミャンマー」というのは「バマー」の文語的表記です。「ミャンマー」というのは「バマー」です。「ミャンマー」というのは民族すべてが含まれるというのは間違っています。言語的にいえば、まったく間違っています。こうした正しくない理由を、私は好ましいと思いません。

もう一つは、この名前を変更する理由が何なのかがはっきりしません。ある人は、占いによる厄除けだといいます。そうであれば、私はまったく賛成できません。
正式な国名をどうこう言うよりも、もっと大事なのは、その国の品格です。ですから、自分の国の品格を自ら保つことができるのであれば、どんな名前であろうが、重要ではありません。

たとえば、今私たちが来ている国「Japan」というのは、こちらの国の人が名付けた名前ではありません。外国人が呼ぶ名前です。しかし、その名前が尊敬されるように、こちらの国の国民はやったのです。ですから、国名を変える必要がありません。

「China」も同様です。「China」というのも中国人自身が呼んでいる国名とは異なります。外国人が呼んでいる名前です。インドも同様です。しかし、自分に自信があれば、国の品格を保っていく自信があれば、国名を変える必要はないと思います。

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