◆軍隊の島の悲劇 いまも
同じく過酷な戦中戦後を語った登壇者がいた。座間味村の村議会議長、中村秀克さん。戦後生まれの56歳だが、沖縄戦の「記憶」は自らと分かち難くある。慶良間諸島の慶留間島の出身。沖縄戦で最初に米軍が上陸、住民の「集団自決(強制集団死)」が起きた島だ。犠牲者は住民の約半数に及ぶ。

「父が亡くなり、私が30歳を過ぎた頃、島の先輩に聞かされました。『あんたのお父さんは「集団自決」の被害者だ』と。ショックでした」
しかも、家族に手をかけたのは祖父だった。その祖父も、父も、生前、一切何も語らなかったという。「どんなに苦しんだかと思います」。
戦後、「これから豊かなヤマト世(ゆ)になる」と、祖父が「仲村渠(なかんだかり)」から日本風の「中村」に改姓した。しかし訪れたのは「アメリカ世」だった。

1970年9月、糸満市内で同級生の母親が飲酒運転の米兵の暴走車にひき殺された。しかし米兵は軍事裁判で無罪となり本国に帰還。同年12月のコザ暴動の引き金となった事件だ。

「4.28で沖縄は本土と分断され、20年間植民地状態でした。沖縄は復帰しましたが、真の復帰じゃないですね。差別的な日米地位協定がある。それがある以上、日本は主権国家じゃありません」
少女暴行事件、教科書問題、オスプレイ配備反対......。幾度となく繰り返されてきた県民大会。「こうした大会が、怒りをあらわす必要のない平和の祭典になることを望みます」。家族の「歴史」を公の場で語るのは初めてだったという。万感の思いをこめた中村さんの言葉に、拍手が鳴り止まなかった。
(続く)
次へ>>

★新着記事