日本維新の会共同代表の橋下徹・大阪市長の日本軍「慰安婦」をめぐる発言が波紋を呼んでいる。発言に修正を加えながらも、「慰安婦制度は必要だった」「強制連行はなかった」などの根本は変えていない。被害女性の支援者や戦争体験者も、批判の声を強めている。(新聞うずみ火 栗原佳子)

抗議の思いをボードに(2013年5月17日)
抗議の思いをボードに(2013年5月17日)

■ ひもで結ばれた女性たち
京都府長岡京市の小北英子さん(90)は、戦争を知らない世代の橋下氏の発言に怒り心頭だ。
「ひどすぎる。私が出て行って証言したいくらいです」
小北さんは1941年、再婚した母親が暮らす南洋パラオに渡った。太平洋戦争が起きた年だ。強烈なパラオでの体験の中でも、とりわけ忘れることができないのが「慰安婦」とされた女性たちのことだという。

「当時、慰問なのか、サーカスがパラオに回ってきていたんです。そこに陸軍がやってきて、サーカスはすぐ閉鎖になりました。そのテントをカーテンで仕切っていくんです。慰安所ができたんです」
小北さんは女性たちが10人前後、腰にひもで結ばれていたのを目撃した。

「憲兵か軍属のような男性が、刑務所で散歩させるような感じで引っ張っていくんです。自分から女性たちが来ますか? 強制ですよ」
父は小北さんに陸軍の「慰安所」ができた町には絶対行くなと厳命した。

「とっつかまえられて、連れていかれるかもしれない、というふうな話でした」
家は郊外で農園を経営していた。そこには時々、「慰安婦」の女性たちが4、5人連れ立ってパパイヤやバナナなどを買いに来たという。
「父から聞いた話ですが、女性たちは仕切られた部屋の中で寝たままなのだそうです。兵隊が行列しているのを班長みたいな人がタイムスイッチを持って。ひどいときには30人も40人も相手をさせられるのだと。

身体が大変で、栄養分をとるために、果物を買いに来ていたということです」
小北さんは那覇市出身。オスプレイ配備反対の県民大会に参加するなど平和への願いは人一倍強い。
「いつも犠牲になるのは沖縄の人なんですよね」
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