4月13日に東京・渋谷で開かれた、ミャンマーの最大野党・国民民主連盟(NLD)党首のアウンサンスーチー氏と在日ミャンマー人との対話集会では、スーチー氏の冒頭演説の後、質疑応答が行われました。その模様を再現、全文を連載します。今回はその6回目。
(取材・訳 赤津陽治)
ASSK(アウンサンスーチー氏、以下、ASSK):
これは、教育についてです。
質問:
私は、日本で見るマナーの良さや技術を上手に生かしていることだけでなく、その他の真似るべき事柄を学ぼうとしています。おもに技術の活用の仕方を見て、ミャンマーを発展させたいという気持ちになっています。たとえば、ゴミ廃棄システムや国家防衛システムなどは、技術をおもに活用しており、時間的にも人的にも負担を軽減するシステムとなっています。
今、私は、日本でソフト・エンジニアとして、1年働く予定です。ミャンマーにおいて技術を活用して早く発展させるため、人間ベースから技術ベースとなるよう、ミャンマーのためにアドバイスをいただきたく思います。
ASSK:
このなかでですね。マナーの良さと技術への精通という話のなかで、ゴミ処理システムについてですが、ゴミ処理システムは、まずは人から始まるものです。それについて、私もぜひ話したく思います。
私は、ミャンマーのどこを訪れても、あちこちにゴミが捨てられているのを目にすると、いたたまれなくなります。どうしてこんなふうに捨てるのかと、私はとても不愉快に思います。これを育成することは、教育制度に大きく関わりがあります。
私たちが若かった時代、学校でゴミを捨てたらお金を払わないといけませんでした。罰金を課されます。現金を取られます。現金を取られるというのは、当時は5ピャー(ピャーは、通貨の単位。100ピャー=1チャット)でした。当時5ピャーというのはお小遣い程度です。5ピャーを罰金に取られたら、お小遣いがなくなってしまいます。
私は、お小遣いをまったくもらえなかったので、問題はありません。お小遣いをもらえる人にとっては、そのために5ピャーを払わなければなくなるのは、本当に大金です。それで習慣になってしまったのです。ゴミを捨てなくなります。
それに、学校の教師たちもゴミを見つけると、自分自身で拾って、ゴミ箱に入れます。それが習慣になっています。私もゴミを見つけると、居ても立っても居られません。行って拾い、ゴミ箱に入れる。ゴミ箱がなければ、手に持っておいて、ゴミ箱が見つかったら入れます。これは、私たちにとって習慣になっています。幼いときから訓練しているからです。
ミャンマーの国造りのなかで、人びとを訓練すること、育成することが最も重要です。ですから、ゴミ廃棄システムというのは、システムを設けて、人びとがそれを守らなければなりません。
私は以前、文章を書いたことがあります。私の敷地でさえも、このことは大問題になりました。私の敷地には、ゴミ箱が至る所にあります。どこでも捨てられるように至る所にゴミ箱を置いてあるにもかかわらず、あえてゴミ箱に入らないようにゴミを捨てるのです。それは、かなり努力してやらないとできないことですよね。それに、私は大変腹を立てます。
そして、私はルールを決めてやります。ルールを決めてやるというのは、どういうことかといいますと、燃やさなければならないゴミ。燃やすことができない場合は、公共のゴミ収集場に置きに行かないといけないゴミ。それから、肥料用のゴミ。たとえば、卵の殻、野菜などです。それから、転売できるゴミ。
プラスチックなど。それらを分別するようにと言っているのですが、かなり骨の折れることです。私の敷地での話ですよ。ですから、国全体であれば、言うまでもありません。
ですから、私たちは、まず人を習慣づけなければなりません。人が習慣化されて初めて、技術を私たちの国にとって有効となるように用いることができるのです。
また、人間ベースから技術ベースへ向かうということですが、それに私も同意します。
しかし、ひとつ、私たちミャンマー国民の方々に頭にしっかりと留めておいていただきたいのですが、私たちの国で最も大きいニーズは何かと言いますと、私はさまざまな土地を訪れて、人びとと会う際にいつも把握しようとしています。何を最も必要としているのか。一番は何だと思いますか。
誰も答えませんね。私たちの国ミャンマーで最も必要なのは、『職』です。それを口々に言います。「仕事がほしい」と。失業問題は非常に深刻です。ですから、私たちは、人間ベースから技術ベースに変わる際に、失業者がさらに増えないようにかなりの注意を払わなければなりません。仕事が最も重要です。
その際に、私は感心しました。私が、私たちの国の人びとに関して最も好ましく思っていることの一つは、私たちは、あるべき自尊心をある程度は持っています。それを私は大変好ましく思います。あるべきでない自尊心というのは、良くありません。
大多数は、職が欲しい。ただでは欲しくない。ただで欲しがる心は良くありません。ただで欲しがる気持ちはありません。大多数が職を欲しがっています。自分の職で、自分の生活の糧を得たい。自分で手に入れたい。他人からただでもらいたいという気持ちはありません。それは非常に良いことです。
私たちの国で職が得られるようにするために、雇用が生まれるように、皆で力を合わせなければなりません。
話のついでに、私たちの国の人びとが必要としていることを言わせてください。人びとの声を、こちらでも知っていただきたいのです。解決できる側の立場の者に解決してもらいたいのです。
一番は、職がないことだと口々に言います。特に若者の失業問題は、私たちの国の将来にとって非常に危惧すべきことです。なぜならば、職がないということは、私はいつも言っていますが、職を失うと、希望を失います。希望がなくなると、鬱屈とした気持ちになってしまいます。
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