ビルマ(ミャンマー)で20年に渡って取材を続けてきたフォトジャーナリストの宇田有三さん(50)が、今年1月、ビルマ語と英語による写真集「Peoples in the Winds of Change 1993‐2012」(邦題・ビルマ 変化の中に生きる人びと)をビルマで出版した。今回は宇田さんへのインタビュー第2回目をお届けする。(取材・整理 大村一朗)
◆風のように行動する
民政移管前の軍政下で、当局の目をかいくぐりながらビルマ全土をくまなく取材して回った宇田さんは、これまで奇跡的に当局のブラックリストに載ることなく、30回に渡るビルマ出入国を果たしている。なぜそうした取材が可能だったのか、ビルマを知るメディア関係者の多くが疑問に思うところだ。
「とにかく、どんな場所でも極力自分を出さないように、まるで風のように行動することを心がけていました。これまでの発表では、もちろんペンネームで顔も出しませんでした。記者会見のような場では、他社のカメラに自分が写らないよう注意します。パスポートは持ち歩きません。拘束されたとき、全てを写し取られてしまうのを避けるためです。取材のときと、その場から立ち去るときとで、帽子を変えたりもしていました。
身の安全には随分とお金もかかります。尾行がついたり、雰囲気がやばいなと感じたら、着いた翌日でも飛行機で元の町に戻りました。公衆電話は同じものを何度も使わない。ときにはタクシーで隣町まで行って電話をかける。そのとき何をしなければならないかは取材の勘みたいなものです。
こういう効率の悪い取材をしていると、1カ月間滞在して何の取材成果も得られないということもある。でも、ビルマでは無駄なお金と時間をかけないと、無事にここまでやってこられなかったと思います。
それと、ビルマはビザを取るのが難しかったので、入国したら可能な限り長く滞在します。語学習得を理由にビザ延長をしたときには、実際に先生を雇って3ヶ月間語学づけの生活をしたこともあります」
「入国のタイミングにも注意します。大きなデモが予定されている日や、重要な記念日の前後などは避けます。そういう時期は、海外メディアがビルマを出入りするため、空港のチェックも厳しくなるのです。つまり、何もないときに入国する。何もなくていいんです。大きな出来事を追っても、フリーランスの自分が既存のメディアに勝てるはずがない。何もない、普通の営みの中に、何かを見つけるのが自分の仕事だと思っています。
ちなみに空港では、ターンテーブルに出てくるスーツケースに、白いチョークで×印が付けられていることがあります。これは、その後のチェックで中身を入念に調べるようにという指示なんです。チョークでは書きづらい素材のスーツケースを使うようにしていましたし、仮に中身を調べられても、容易に機材が見つからないよう工夫もしていました」
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