ビルマ(ミャンマー)で20年に渡って取材を続けてきたフォトジャーナリストの宇田有三さん(50)が、今年1月、ビルマ語と英語による写真集「Peoples in the Winds of Change 1993‐2012」(邦題・ビルマ 変化の中に生きる人びと)をビルマで出版した。今回は、宇田さんへのインタビュー第3弾。(取材・整理 大村一朗)
◆「これからもビルマと関わり続けたい」
本写真集には、多くの場所、場面、人物の定点観測が含まれる。その中に、この国の民主化運動を鮮やかに示す2枚の写真がある。
1枚は、軍政による弾圧が苛烈さを極めた2003年、民主化運動の指導者アウンサンスーチーさんの入院する病院前で、花束と小さなプラカードを無言で掲げ、彼女への支持を表明するNLD国民民主連盟のメンバーたちの写真だ。
この無言の支持集会の写真は、宇田さんにとって、ビルマ取材の中で深く心に刻まれている写真だという。この写真が撮影される4ヶ月前、アウンサンスーチーさんを含むNLD幹部と支持者らが軍政の暴徒に襲撃され、70人が殺害される「ディベーイン事件」が起こっていた。
ビルマでその後も公然と彼女を支持する人々がいることを国際社会に伝えなければならない。そう決意した宇田さんは、逮捕を覚悟で撮影にのぞんだ。警官が取り囲み、当局の関係者がビデオカメラを回している前で、宇田さんは4回シャッターを切り、急ぎその場を立ち去る。翌日にはタイのバンコクに脱出し、その一枚はタイの英字紙バンコク・ポストの紙面を飾った。口を真一文字に結び、固い表情で花束を掲げる若者たちの写真は、ビルマの民主化運動が潰えることなく静かに権力への抵抗を続けていることを世界に知らしめた。
この写真と対を成すのは、2012年4月の国会補欠選挙で、アウンサンスーチーさんの写真を高々と掲げる村人たちの写真だ。満面の笑顔でスーチーさんの写真やNLDの旗を振り上げる村の大人たちと子供たち。この2枚の対照的な写真を自らの写真集に並べることの出来るジャーナリストは、恐らく世界のどこにもいないだろう。
「左の写真で若者が手にしているプラカード、英語で書かれているんです。彼らは外国に自分たちの存在を伝えたかったのです。でも、私以外に彼らの存在を世界に伝えたメディアは他になかったはずです。一方、右の写真は誰でも撮れる写真で、ビルマ人の誰もが知る現在の姿です。でも、左の写真はビルマ人すら知らないこの国の過去です。恐らくこの写真に写る若者の何人かはこの後逮捕されたでしょう。この国にこういう過去があったことを、ビルマ人にも知ってほしいです」
ビルマの民政移管を一つの節目に、20年間の取材を写真集にまとめた宇田さんに、現在のビルマの情勢と今後の見通し。そして、ジャーナリストとしての関わり方について聞いた。
「民政移管が今後どのように進んでいくのか、誰も予想は出来ないし、正直私にも分かりません。しかし、ビルマにはそれ以外にも多くの問題が存在します。
例えば、この写真集の2枚目に当たる浅黒い肌の少女の写真。この写真には、他の写真のようにキャプションがありません。この少女は、ビルマ人からロヒンジャと呼ばれて蔑まれているムスリム集団の少女で、本来写真集に載せることすら憚られる存在です。この写真にキャプションを付けなかったのは私の判断です。付ければ編集者を悩ませることになるからです。この写真だけキャプションがないのは不自然なので、その前後1枚ずつの写真にもキャプションを入れていません」
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