◆第9期イラン大統領選挙(1)~政治の季節
2005年、イランに来て二度目の春が過ぎた。当面の目標だった語学学校も全課程を修了し、さてこれからどうしたものかと思いあぐねていた。
イランを伝えることをジャーナリストとしての第一歩にしようと心に決め、イランを再訪した私だが、記者らしい仕事はまだほとんどしていない。何を見ても、もの珍しかったこの1年余は、数々の宗教行事や年間行事、イラン人の日常生活といった、どちらかといえば身の回りで起こった出来事について、こつこつとインターネット上に書き続けてきたくらいだ。
大帝国を生んだ悠久の歴史と、そこに裏打ちされた土着の文化、さらにイスラム教シーア派に根ざした人々の日常は、それだけで好奇心を掻き立てるのに十分だった。だから、あえて政治に関わる必要はないと考えていた。イラン人の強烈な政治性を薄々と感じながらも、政治は堅苦しい、物騒だと避けて通ってきた。
しかし、どんなに目を閉じ、避けて通ろうとしても、否応なくその出来事は目と耳に飛び込んでくる。4年に一度、6月に行われる大統領選挙が近づいていた。それは物騒どころか、何か祭の前のように街を浮き立たせていた。
2期8年を務めたハタミ大統領は、3選を禁じる法律により、政権を新たな大統領に譲り渡さなければならない。テレビも新聞も、大統領選挙の候補者選びのことでもちきりだった。しかし、これまで政治的なことを避けてきた私には、複雑な政治体制と選挙制度が高い壁のように目の前に立ちはだかり、何から手をつけていいのかさっぱり分からない状態だった。
そんなときだった。香港人の友人ディックが我が家にやってきたのは。彼は語学学校の同期であり、学生寮でも同じ釜の飯をつついた仲だったが、2ヶ月ほど前、修了証をもらうと1年間の留学生活を引き上げ、香港に帰っていった。今回は選挙を取材するためにイランを訪れたという。
イランに興味を持ち、新聞記者の仕事をやめて留学に来ていた彼とは、もともと方向性が同じこともあり、一緒に話したり行動したりする機会が多かった。私より年下だが、記者として実務経験のある彼に、いろいろ相談することもあった。
思えば、彼の行動はいつも私より一歩前を行くものだった。留学間もないある日、そろそろイランの新聞を買って読み始めようかと寮の近くのキオスクに向かっていたら、新聞を手に持ったディックが歩いてきた。彼は私が新聞を買いに行くことを知ると、言った。
「このハムシャフリーって新聞が、テヘランで一番メジャーな大衆紙らしいぞ」
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