ハタミ大統領の弟であり、改革派最大政党・イラン・イスラム参加戦線党首レザー・ハタミ氏にインタビューするディック。(2009年6月 筆者撮影)
ハタミ大統領の弟であり、改革派最大政党・イラン・イスラム参加戦線党首レザー・ハタミ氏にインタビューするディック。(2009年6月 筆者撮影)

 

◆第9期イラン大統領選挙(2) ~改革派候補の選挙集会
イランは「宗教民主主義」という世界でも稀な体制を標榜している。これは宗教と民主主義の融合、両立を目指すものだが、実際には、イスラム法シャリーアの枠内で、より民主的な体制を打ち立てようとするものであり、自ずと宗教が民主主義に優越する。

例えば、憲法をはじめとする全ての法律は、イスラム法に則ったものでなければならず、政治家になるにも、イスラム法学者の承認を得なければならない。

今回の第9期大統領選挙についても、1014人が立候補の「届け出」を行ったが、イスラム法学者、つまりイスラムのお坊さん6人と世俗の法律家6人の計12人で構成される護憲評議会の書類審査によって、最終的に正式な立候補者と認定されたのは、わずか6人に過ぎなかった。1014人を6人に絞った審査基準とは何か。イラン憲法第9章115条には、大統領たる者の資格として次のようにある。

『大統領は以下の条件を満たす宗教界、政界の要人の中から選ばれなくてはならない。イラン国籍を有する真正なイラン人であること。管理能力、優れた経歴、信用を有すること。イランイスラム共和国の体制と国教に対して敬虔であり忠実であること』

この抽象的な基準だけで、果たして公平で客観的な審査が行えるのだろうか。そこに現体制にとって好ましくない人物をふるいにかける意図があるのは明白だ。より近代的な概念での自由と権利の確立を目指す「改革派」の政治家たちは、この資格審査で排除されることが多い。

ハタミ政権で科学技術大臣を務めながら、保守派に対する妥協的な政権運営に抗議して大臣を辞任した、急進的改革派のモスタファ・モーイン氏(56)もまた、この大統領選挙で立候補の届け出をしながら、資格審査でふるい落とされた一人だ。モーイン氏を支持するイラン・イスラム参加戦線やイスラム革命戦士協会といった改革派政党、また改革派メディアは、モーイン氏を失格にした根拠を明らかにせよと、護憲評議会に猛烈な抗議を行った。

その結果、ハッダード・アーデル国会議長が審査結果の再考を護憲評議会に促すよう、最高指導者ハメネイ師に嘆願。ハメネイ師の要請を受け、護憲評議会はモーイン氏とモフセン・メフラリザーデ副大統領(49)の2名に選挙戦出馬資格を与えることをしぶしぶ承諾したのだった。

そもそも護憲評議会のメンバーである6人のイスラム法学者は最高指導者により任命され、残る6人の法律家は国会から指名される。国会議長と最高指導者からの要請を護憲評議会が断わることはない。

出揃った8人の立候補者による選挙活動は、友人ディックが香港からイランにやってきた頃には、もう終盤を迎えていた。イラン全土の都市を回って選挙活動を繰り広げてきた各候補は、最後の演説集会を、首都テヘランや宗教都市マシュハド、あるいは地元の都市などで終えようとしていた。

私はディックとともに、テヘラン大学の学生寮に近い大学スタジアムに足を運んだ。その日、このスタジアムでモーイン候補の最後の選挙集会が行われるのだ。

私たちは、ディックが取材で知り合ったイラン人記者の手引きでスタジアムのステージ裏の特別席に入り込むことができた。そこには、私ですら名前と顔が一致する改革派の大物政治家たちがずらりと並んで座っていた。

ディックはその一人ひとりにボイスレコーダーを向け、インタビューを試みる。私は、正直に言えば、こうした大物政治家たちの発言を拾うことに興味が沸かなかったし、そうする義務もなかった。もちろんそれが勉強不足と問題意識の低さによるものであることも理解していた。

私は観客席から芝生の上に降りた。2万5千人収容のスタジアムはほぼ満席で、芝生の上も人で埋まっていた。壇上に誰かが立つたびに、汗だくの若者たちが歓声を上げる。モーイン候補が演壇に立つと、スタジアムが割れんばかりの歓声や指笛の音に包まれた。

モーイン氏は、自由と民主化、男女同権、政治犯の釈放、そして憲法改正にまで踏み込む急進的な改革派として、現体制に不満を抱く階層から支持を得ている。イランの人口構成は25歳以下が5割、30歳以下ともなると7割を占める。1979年のイスラム革命後に生まれ、革命の理念などどこ吹く風の若者にとって、政教一致のイスラム体制は窮屈なものでしかない。モーイン候補の選挙戦はこうした若い世代をターゲットに支持を広げようとしていた。

日が傾きかけた頃、集会はようやく解散となった。これから夜にかけてさらに盛り上がるのかと思っていた私たちに、ボランティアの若者が言った。
「保守派の暴徒による襲撃があるから、暗くなる前に解散した方がいいんだ。君たちもスタジアムを出たら気をつけるように。僕なんか、ほら」

彼は足に残る痛々しい傷跡を私たちに見せた。一昨日、集会後に路上で襲われたときのものだ。頭蓋骨骨折の大怪我を負った支持者もいるという。

彼らモーイン陣営のボランティアたちは、そういう危険を共有しながらこの2週間の選挙キャンペーンを戦ってきたのだ。
スタジアムの外にはすでに治安部隊がずらりと並び、警備にあたっていた。これだけの警備がいれば大丈夫ではないのか。

「そんなことない。あいつらだって同じさ。いつ僕らに襲い掛かってくるか分かったものじゃない」
彼は続けた。

「いいかい、学生たちはここからまっすぐエンゲラーブ広場に向かって行進していく。治安部隊は、学生たちが広場に集結して騒ぐのを防ぐため、この先のアーミーラバード交差点で学生たちの進路を遮り、無理やり左折させようとするだろう。そこでちょっとした小競り合いになる、君らは近づかない方がいい」

ディックの目が輝いている。行くべきかどうか迷う必要などなかった。私のアパートは当のエンゲラーブ広場にあるのだ。自分の臆病さをなじりながら、とんでもないもない遠回りをして交差点を迂回するよりも、学生たちとともにアーミーラバード交差点を直進するのが自然な選択だった。
(続く)

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