◆第9期イラン大統領選挙(6) ~改革派の敗北
現テヘラン市長マフムード・アフマディネジャード候補が、他の保守派、改革派候補を抑えて第2位の得票数を獲得し、1位のラフサンジャニ師との決戦投票にコマを進めたことは、不正の存在がどれほど取り沙汰されようとも、もはや事実として受け入れるしかない。内務省の選挙管理本部では、一週間後の決選投票開催に向け、着々と準備が進められていた。
アフマディネジャードは、事前の世論調査で他の保守派候補の中で最も人気が低かった。私にとってはノーマークの候補であり、彼の選挙運動への取材も全くしていなかった。
新聞から切り抜いた各候補者のスローガンや発言から、アフマディネジャードのものを改めて読み返してみる。
『イスラムは完全な宗教である』
『イスラムこそが真実の繁栄を導く』
『イスラム政府の義務は正義の確立』
『我々の究極のゴールは、すべてのイスラム規定が固く守られるイスラム政権を樹立すること』
アフマディネジャード候補は選挙戦のさなか、他の保守派候補の唱えるアメリカとの関係改善や女性閣僚の導入といった「浮ついた」政策を掲げることは決してなく、ただひたすらイスラムの価値、イスラム革命の理念を説き続けた。
そんな彼に目もくれなかったのは、私が自由主義陣営の国からやってきた非イスラム教徒だからであり、無意識に彼のような候補を無視していたのかもしれない。それでいて、『人は貧困には耐えられるが、差別と不公平には耐えられない』といった彼の言葉は記憶に残っている。
それは人々にイスラム革命を思い起こさせる言葉だったからだ。
1970年代、オイルショックによって産油国イランに未曾有の好景気が訪れていた。社会は急速に財を成してゆく者と、その機会すら与えられない大多数の貧困層とに二分された。貧困層は、時代に取り残される疎外感と、アメリカからもたらされる俗悪な文化への敵意、そして自分たちの伝統と文化が失われてゆく不安を募らせ、それを革命へのエネルギーに昇華させていったのだ。
『人は貧困には耐えられるが、差別と不公平には耐えられない』という言葉は、イスラム革命当時の民衆心理を代弁する言葉だが、果たしてこれが現代にも当てはまる言葉かどうかは疑問だ。しかし、「未来」、「新しい時代」、「変化」といった未来志向のキーワードを掲げる他の保守派候補の中にあって、唯一、「革命への回帰」を掲げたアフマディネジャードに、現状に不満を持つ保守層、貧困層が票を投じたとも考えられる。
とはいえ、アフマディネジャードという人物の実像は私にとって謎に等しい。香港人の友人ディックも同様だった。残念なことに、ディックの報道ビザは一次投票翌日が期限であり、延長は認められず、彼は決選投票を見ることなく香港に帰っていった。私は一人、アフマディネジャードについて取材しなければならなかった。
私はそれから、町で言葉を交わす人がいれば、選挙で誰に投票したのか尋ね、アフマディネジャードに投票したという人に会えば、必ずアフマディネジャードはどんな人かと訊いてみた。返ってくる答えは決まって次のようなものだった。
「いい人だよ。テヘラン市長なのに生活は質素で、家も下町にあって小さくて、僕らと変わらない生活をしている。お昼ご飯はいつもお弁当を自宅から持ってくるんだ」
下町の宗教的な家庭で育った子供たちでなく、繁華街でたむろして、女の子が通るたびに冷やかしているような悪がきでさえこう答える。
改革派寄りの人々にとって、アフマディネジャードは強硬なイスラム原理主義者であり、西洋的な自由、民主主義、人権の概念とは程遠い人物として恐れられているが、彼を支持する人々にとっては、清貧を旨とする有能な実務者という印象が強いようだった。だが、彼がどういう政策を掲げ、どういう国づくりを目指しているのかについては、具体的な答えは聞かれなかった。
私は数日後、テヘラン中心街ハフテ・ティール広場そばのアフマディネジャード選挙本部を訪ねた。黒シャツに黒のスラックスという男達に混じって僧侶の出入りも激しい。黒い服が多いのは、イスラムの預言者ムハンマドの娘ファーティマ・ザハラーの命日があるせいだろう。ものものしい雰囲気に、つい弱気になる。
学生ビザしか持たない私には、本来こうした取材は認められていない。改革派候補の事務所や集会場では問題なかったが、投票日当日の取材では、どこの投票所でもプレスカードの提示を求められ、職員や警備員に門前払いを食らった。
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