◇なぜいま市民にとってアスベストに対する「自衛」が必要なのか
アスベスト問題がメディアに大きく取り上げられることは少ない。しかし、その被害は年々増加の一途をたどり、中皮腫や肺がんを患う人、またその死亡者の数は着実に増えている。2028年には、アスベストを用いた建物の解体作業がピークを迎えると言われており、飛散したアスベストを吸引する可能性は誰にでもある。
こうした危機的状況の中、行政の指導は行き届いておらず、解体工事のずさんな実態はほとんど知られていない。このアスベスト禍から自らを、そして次の世代を担う子供たちを守るために、今、私たちに出来る「自衛」手段とは何なのだろうか。
●きっかけは「クボタショック」
「近所で解体工事が突然始まったのですが、解体業者に聞いたら『アスベストはない』と言うのだが、本当かどうか。アスベストを吸ってしまうんじゃないか心配です」
「子どもが通っている学校にアスベストが使われている。学校側は安全だと言うが大丈夫でしょうか」
2005年6月末、兵庫県尼崎市の旧クボタ工場周辺にアスベスト被害が発生していたことが明らかになった。のちに「クボタショック」と呼ばれることになったこの出来事により、80年代後半以来忘れ去られていたアスベスト問題が公害の色を帯びて 公害として再び注目されることになった。その後被害者の数がどんどん増えていったこともあり、それから数カ月はアスベスト一色といってよいほど、洪水のような報道ぶりが続いた。
アスベスト被害者やその家族の支援活動をしているNPO「中皮腫・じん肺・アスベストセンター」(所長・名取雄司医師、以下アスベストセンター)は、これ以後数カ月間、まったく休みがとれないほど、被害者やその家族、遺族からの相談に加えて、マスコミの取材対応に忙殺されることになった。当時、電話がひっきりなしにかかってきて、その応対すら困難になったため、電話に出ることを諦め、留守電に要件が残っていたときのみ対応するようにせざるを得なかったという。
アスベスト被害や対策に詳しい団体があまりいなかったこともあり、マスコミの取材が殺到した。同じ建物に入っている別の市民団体の知人に様子を聞いたところ、「アスベストセンターの入っている5階から1階まで非常階段にテレビ局がずっと列を作ってるよ。こんなの見たことがない」と驚いていた。
この時期のマスコミの取材攻勢はすさまじく、それこそ就寝中の夜中の3時過ぎに、どこから電話番号を聞いたのか、知りもせぬ記者から電話がかかってきて叩き起こされることさえあったという。それ以来就寝時には携帯電話の電源を切るようにしたとの話も聞いた。
そんな最中に被害者らの相談に混じって急増したのが、冒頭に紹介したような、建築物に残されたアスベストについての問い合わせである。80年代と違って、すでに多数のアスベスト被害者の存在が報じられていたことに加え、日本でアスベストが多用された建築物の耐用年数が過ぎ始めたこともあって、アスベストセンターへの問い合わせは増え続けた。
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