◆児童劇に思い複雑
慰霊祭に続いて、地元の児童劇団「石川ひまわりキッズシアター」によるミュージカル劇「ひまわりの咲くころに」も上演された。事故が奪った日常と悲劇を再現した劇で、慰霊祭で披露されるのは初めてだという。劇では赤い衣装の子どもたちが乱舞して炎を表した。
「子どもたちが継承している姿に元気付けられました。でも、あんなふうに焼かれたのかと思うと、見ていられなかった......」
遺族の一人、新垣ハルさん(84)=読谷村=は涙ぐんだ。
女手一つで育てた一人息子の晃さんを亡くした。晃さんは事故当時2年生。全身の5割を火傷したが、辛い皮膚移植手術に耐え、陸上選手として活躍するまで回復した。しかし体育教師を目指して進学した琉球大学時代、体調に異変が生じた。火傷のため発汗機能が失われ、内臓が徐々に蝕まれていたのだ。卒業目前に他界。23歳。最後まで一人残す母を案じていたという。
「毎朝、晃の写真にうーとーとー(お祈り)してます。今日は写真をこちらに預けていたので『こっちで会おうね』って。いつも晃のことを考えて泣くさね。いつになったら忘れるのか。私が(あの世に)行ったときかねぇ、と思って......」
◆戦争は終わっていない
9年前、沖縄国際大に米軍ヘリが墜落。以来、晃さんのことがより思い出され、悲しみにとらわれる。そんなハルさんたちの頭上をいまも「欠陥機」が飛ぶ。MV22オスプレイは昨年10月、県民の猛烈な抗議を無視して普天間基地に12機、配備された。
ちょうど1年前の6月30日、当時の森本防衛大臣は配備の「説明」と称し来沖、県民感情を逆撫でした。オスプレイは参院選終了後の8月、普天間に12機、追加配備される予定だ(※)。
豊濱さんは毎年6月23日の「沖縄慰霊の日」に戦没者追悼式に出席してきたが、今年は初めて欠席した。首相はもちろん、防衛大臣、外務大臣まで揃って参列すると知り、どうしても足を向ける気にならなかった。
「沖縄戦は済んだと言えますか? なぜ戦後14年も経って遺影の子どもたちは死ななくてはならなかったのか。彼らが一番言いたいことだと思う。憲法を変えようとしている人たちが沖縄に来るのはおかしい。なぜ二度と戦争をしないと言えないの、って」
(栗原佳子)
(※)8月3日、第1陣としてオスプレイ2機が岩国基地から普天間基地に移されたが、5日にキャンプ・ハンセンで起きた米空軍HH60救難ヘリの墜落事故を受け、米海兵隊はオスプレイの追加配備を一時見合わせた。しかし12日、沖縄県民の反対を押し切り、9機が普天間に強行配備され、残る1機もまもなく配備される予定。