◆テヘラン 猫物語
テヘランの街角には野良猫が多い。私たち夫婦が移り住んだシャフララという地区は特に、革命前にドイツ人技師の手によって建てられた古いレンガ造りの団地が何棟も並び、その軒下や、木々に囲まれた敷地が彼らの格好の居場所となっていたため、至るところに野良猫たちの姿を目にすることが出来た。
ペルシャ語を学び始めた頃、その発音に最も違和感を覚えたのが「猫」だった。例えばペルシャ語で「犬」は「サッグ」、「馬」は「アースブ」、「牛」は「ガーブ」、「ねずみ」は「ムーシュ」など、たとえ外国語でも、「ああ、なるほど」と何となくイメージと名称がしっくりくるものがほとんどだが、「猫」つまり「ゴルベ」だけは首をかしげた。小柄でしなやかでかわいらしいという猫の特徴がまったく感じられない。しかもここはペルシャ猫の国ではないか。
こうした先入観はイランで暮らすうちに次第に消えていった。まず、イスラム的な衛生観念から、イランでは家猫というものを見たことがなく、猫といえば野良猫を指す。当然、きれいで毛並みも良く、愛想のいい猫など皆無である。中にはペルシャ猫の系譜かと思われる毛足の長いタイプもいるが、都会のほこりにまみれて、汚れたモップのようにしか見えない。
彼らは日本の野良猫のように公園で堂々と日向ぼっこをしていることはない。植え込みや木立の中、あるいは街路のゴミ箱の中などに身を潜め、人が近づけばさっと場所を変える。また、イラン人もそうした猫たちに関心はなく、近くにいれば、「シッー!」と追い払うし、女子高生たちは「ギャー!」とまるでネズミかゴキブリでも出たかのように悲鳴を上げる。
逆に、イランに野良犬は皆無である。見つかれば即保健所行きだからだ。犬の舌は不浄の代名詞のように言われ、たとえ飼い犬でも、市場やモスクに近づくことは許されない。私がイラン滞在中には、公共の場に飼い犬を連れ出すことを禁止する法案が国会に提出されたほどだ。
小型犬を家屋でペットとして飼う人が最近増えているのは、西洋的習慣の影響が大きい。こうしたことから、犬と犬を飼う人は、過渡に宗教的な人々から敵意と憎しみに満ちた眼差しを向けられている。一方、猫に関しては、イスラムの預言者ムハンマドが猫好きだったことが免罪符となって、人と共存して生きることが許されている。
野良猫の中には、アパートの庭を一軒一軒回り、挨拶代わりに一声鳴いて、食べ物をもらう流しの猫もいる。隣の家の様子を伺っていると、気が向いたときだけ食べ物をあげ、何もないときには「シッシ」と追い払っているようだ。
◆猫たちとの抗争の日々
シャフララの新居にも、隣のアパートから高い塀を乗り越えて、毎夕同じ猫がやってきた。動物好きの私たちは律儀に毎回食べ残しをあげていた。猫たちは食べ物をくれたぐらいで決して触らせてはくれなかったが、それでも、アパートの3階に住んでいたエンゲラーブの頃にはなかった、心なごむひとときだった。
そんなのどかな日々が、ある日を境に、殺伐とした猫たちとの抗争の日々に変わった。
その日、私たちは半日かけて煮込んだ牛筋大根を、一部タッパーに詰めてKさん宅に持って行った。Kさんは日ごろから私たち夫婦にいろいろなおすそ分けを届けてくれ、私たちも、空いた容器にそのまま何かを詰めてお返しするのが常となっていたのだ。
夜になり、Kさん宅から戻った私たちは、さあ夕食にしようと牛筋大根の鍋に向かった。我が家のガステーブルは部屋の外、駐車場の隅にあり、鍋はガステーブルの上にかけたままだった。そこには、蓋が開き、無残に食べ散らかされた牛筋大根があった。しかも、一口齧っては放り投げ、また別の肉を一口齧るというやり方だ。
どうせなら全部きれいに平らげろと叫びたい気持ちだった。私たちは、鍋の中身を廃棄し、周囲に散らかった食べかすを片付け、その晩は空しく近所のピザ屋に向かったのだった。
翌日から、私たちは庭を訪れる猫を排除し始めた。「もうお前らにやるものはない」と威嚇し、敷地から立ち去るまで追いかけたり、小石を投げたりした。そんな日が数日続くと、さすがの猫たちも夕食時にはやって来なくなったが、猫たちが反撃に転じたのもその頃からだった。
深夜、ガステーブルの上や車のボンネット、そして駐車場のあちこちに嘔吐し、汚物を残してゆくようになったのだ。私たちはもう、「猫」とは呼ばず、ペルシャ語で「ゴルベ」と呼ぶようになっていた。その音の響きは彼らのふてぶてしさにぴったりだと思えた。
私たちは、駐車場で物音がするたびに部屋を飛び出し、猫たちを激しく追い回した。冷蔵庫もガステーブルも外なので、気が休まる暇がない。そんないたちごっこが何日も続いていたとき、妻は猫たちとの間に抱える問題のことを、何気なくKさんに打ち明けた。すると、Kさんが真顔でこう言ったという。
「猫は人間の言葉分かるで。しっかり相手の目え見て、ほんまに困ってるからもう来んといてって訴えてみ」
妻は半信半疑で帰宅した。イランの猫だが、ペルシャ語である必要はないらしい。私が留守中、妻は庭で見かけた猫に向かって、訴えた。
「もうお願いだから来ないで。私たちも追いかけたり、いじめたりしないから!」
猫はびくりとして、妻の目をしばらくじっと見ていたが、やがてゆっくりと立ち去ったという。そのときから、彼らの姿も嘔吐の跡も、一度たりとも見かけることはなくなった。