今回から、実際にどのようにアスベストから「自衛」が必要なのか、具体的な事例を通じて紹介する。まずは建築物の改築・解体工事をめぐる典型的な問題について、2010年に東京都で実施された対照的な2つの工事から解説しよう。
◇乗っ取り王の「負の遺産」
東京都大田区の東急池上線・池上駅から徒歩10分ほどのところに、有名なボウリング場・トーヨーボールがあった。白木屋乗っ取り騒動をはじめ、数々の買収劇で昭和の乗っ取り王として知られる横井英樹氏(故人)が「東洋一のボウリング場をつくる」と豪語して、ボウリングブームの昭和40年代に日本各地に開業した巨大ボウリング場の1つである。ここ大田区池上のトーヨーボールは「世界最大のボウリング場」を謳い、最盛期には260レーン以上あったという。
2008年に閉鎖したという旧トーヨーボール池上は、現地の再開発を目的とする解体することになった。解体に先立つアスベスト除去工事が届け出されたのは2010年9月上旬のことだ。現地の養生が始まったのをみて、住民が気づいたのである。
「トーヨーボールのアスベストには気をつけるよう聞いていたので注意していました」と大田区の奈須利江区議(当時)は話した。
実は、横井氏の郷里である愛知県稲沢市のトーヨーボールが2007年に解体された際に、アスベスト対策が大きな問題になった経緯がある。
当時、隣接する同県愛西市の吉川三津子市議に相談され、筆者がいっしょに現地を訪れて吹き付けアスベストだらけだったことを確認し、そのことが毎日新聞に報じられたのが事件の発端だった。
同じく横井氏の経営だったホテル・ニュージャパンが1982年2月に火災を起こし、33人の死者を出すという事件では、建設費用削減のため、スプリンクラーなど消火設備を整備しなかったばかりか、耐火材まで省くという徹底した手抜き工事をさせたことが延焼を防げなかった原因とされている。
この耐火材の原料に当時広く使われていたのがアスベストである。ホテル・ニュージャパンでそれほどまでに徹底した手抜き工事をさせていたのに対し、それより十数年前に建設されたトーヨーボール稲沢では、むしろ過剰なほど、いたるところに吹き付けアスベストが使われていたのが意外だった。
「稲沢のトーヨーボールは横井氏の実家のとなりに建てられていて、故郷に錦を飾る意味合いが強く、このときばかりは採算度外視で建てたのではないか」と吉川市議は推測する。
その後、解体前のトーヨーボールをいくつか見てきたが、トーヨーボール稲沢ほどは徹底して吹き付けアスベストを使っていなかったことからも、その可能性はあり得るだろう。トーヨーボール稲沢が横井氏によって最初に建設されたボウリング場であり、当初はどの程度の吹き付けアスベストが必要かよくわからなかったといったことも考えられよう。
あるいは全国に7~8カ所あったというトーヨーボールの建設で徐々に耐火材の量を減らしていき、その手抜きの極地がホテル・ニュージャパンだったのかもしれない。いずれにせよ、昭和の乗っ取り王が残した「負の遺産」の1つといえよう。
次のページへ ...