解説 兵士がなぜ飢えるのか 2
◆軍の飢えが始まったのは80年代
「軍隊は75年頃までは腹いっぱい食べられた。白米と雑穀が5対5だけれども飯は一日800グラム。卵も肉も支給されていて、兵士は民間人よりいい 体躯をしていた。軍隊に行かないと入党も出世もできないので、かつては親たちは先を争って軍隊に行かせていた。軍の食事が悪くなったのは80年代の初め頃 からで、90年代の『苦難の行軍』期から兵士に餓死者が出始めた」
と、在日脱北者のリ・サンボン(李相峰)氏は言う。また北朝鮮内部記者のキム・ドンチョルも、他の脱北者も共通した証言をしている。
連載記事の「 ビデオカメラが捉えた飢える兵士 」の項と写真を参照されたい。
軍の待遇悪化は、経済衰退によって他の産業全般が瓦解していく過程と軌を一にしている。特に栄養失調が多いのは、土木建設工事に従事する部隊で、工兵局の部隊の他、七総局、八総局と呼ばれる部隊だ。
「規定の食事量は同じだが重労働だからだ」と、キム・ドンチョル記者は言う。いわゆる建設部隊に配属された兵士は、10年間の兵役期間中、銃を撃つ 訓練すらほとんどせず、もっぱらシャベルとつるはしを担いで過ごすという。朝鮮人民軍の兵員全体のうち、建設部隊がどれくらいになるのか不明だが、韓国政 府は半分程度とみているようだ。
◆軍内の食糧横領で飢えた兵士が盗賊化
軍の食糧事情が悪くなると、将校や幹部たちが部隊の食糧をくすねるようになった。まず、自分の身内用に持ち出した。さらに経済不振と反比例するように闇経済が活発になって行くと、部隊に配分される食糧や備品を闇業者に横流しして現金化し私腹を肥やす者が続出した。
末端兵士に渡る食糧はますます減っていくことになる。当然空腹に耐えられない兵士たちは非行を始める。兵士による窃盗、強盗、暴力事件が頻発、脱走兵が絶えないというのは、90年代以降、やはり北朝鮮社会の常識と化している。
それに伴い、一般庶民にとって軍隊は、警戒、恐怖の対象になってしまった。軍隊を「土匪」「強盗」「共産軍ども」(注1)と揶揄することが、今や当たり前になってしまっている。
「軍隊が盗みを働いても、保安署(警察)や保衛部(情報機関)、党では関与できない。取り締まれるのは警務(憲兵)だけ。『先軍政治』になって軍の権勢が強くなってより酷くなった。誰も手が出せない」。
リ・サンボン氏はこう述べる。食糧難は軍組織の規律低下、軍民関係の悪化を招いた。
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