◆ナズリーを手伝う
日々40度を超える酷暑の夏が過ぎ去ると、短い秋の余韻にひたる間もなく、テヘランは一気に冬へと向かっていた。
外気はマイナス。だが部屋の中は暖かい。イランでは、ほとんどの集合住宅が地下に共用のボイラー室を備えている。
そこから各世帯の全ての部屋へ熱水が供給される。全ての部屋にルームヒーターが設置されており、取っ手をひねれば熱水が循環し、瞬く間に部屋を暖めてくれる。この熱水循環式のヒーターを24時間つけっぱなしに出来る贅沢は、天然ガス埋蔵量世界第2位の強みだろう。
イランの冬は、日本の冬とは比較にならないほど快適だ。
大学院生活が始まって3ヶ月が過ぎようとしていたが、私たち夫婦はまだKさんの所有するアパートの管理人室に住んでいた。大学構内の夫婦寮は申請者が多く、しばらくは入れそうにない。だが、たとえすぐ入れたとしても、あまり気が進むものではなかった。買い物には非常に不便な場所だったし、何より私にとって、大学院は多大なストレスを感じる場所だったからだ。
それに、私たちはこの管理人室がとても気に入っていた。Kさんはよく差し入れを持ってきてくれたし、長年の海外暮らしで身につけた、納豆や豆腐、漬物や干物などの作り方を惜しげもなく妻に教えてくれた。
冬に入り、ガステーブルを外に置いている我が家は、料理のたびに上着を着込んで外に出なければならなかったが、豊かになった食生活を思えば、それも些細なことだった。
そんなある日、Kさんから電話があった。ちょっと手伝ってほしいことがあるという。まもなくご主人Mさんの運転するトヨタカムリでKさん一家がやってきた。私たちを乗せると、車中でKさんは、これからナズリーをしに行くのだと言った。
ナズリーとは、願掛けを兼ねた施しや喜捨のことを言う。神様やイマーム・ホサインなどに願い事をするとき、人々は、それが叶った暁には何某かの喜捨や施しをしますと約束をする。街中でよく、通行人にジュースやお菓子を配っている人、モスクの前で塩の小袋を配っている人、あるいは、アーシュラーや犠牲祭などの宗教行事で羊を一頭さばき、その肉や煮込み料理を近所の人などに配っている人を見かけるが、それらはいずれもナズリーである。彼らは願い事が叶い、神様との約束を果たしているのである。
去年、妻とエンゲラーブ広場に近いアパートで暮らし始めた頃、こんなことがあった。斜向かいの家のおじいさんが私たちの住むアパートのブザーを押し、インタフォン越しに階下に下りてきてくれと言ったのだ。階下に降り、しばらくして戻ってきた妻の手には、パック詰めの肉そぼろご飯が2人前、握られていた。
ナズリーという言葉すら知らなかった私たちは、きっと引っ越してきたばかりの外国人夫婦に差し入れを持ってきてくれたのだろうと考えた。翌日、私たちはその家を訪問し、「おいしかったです。ありがとう」と言ってお礼の苺を差し出した。すると、おじいさんは困惑しきった表情で、「こんなことをしたらいけないよ」と言い、それでも無下に断ることなく、苺を受け取ってくれたのだった。
お礼をしてなぜ説教をされるのか、私たちには分からなかった。ただ何となく、この国の慣習に反することをしたらしいということだけは感じた。これがナズリーというものであり、ナズリーにお返しをするなどあってはならないことだと知るのは、まだしばらく先のことだった。
その後も、インタフォン越しに階下に下りてくるよう言われ、行くと知らない人が食べ物を持って待ち構えているということが度々あったが、ただお礼だけ言って受け取り、あとのことは考えないようにしていた。それでもまだ私たちはときどき間違えを犯していたようだ。
それは、相手が2人前の食事を渡してきたとき、それを私たち夫婦のためのものだと思って2つとももらってしまっていたことだ。正しくは、一世帯で一つ。もし二つ手渡されたなら、そのうち一つをアパートの別の世帯に渡さなくてはならない。そのことに気づいたのは、Kさん一家のナズリーを手伝うことになった、まさにこの夜のことだった。
30分ほど走り、車は街灯もまばらなテヘラン南部のある地区で停車した。そこはテヘラン市街の南のどん詰まりにある町外れの一角で、その先には広大な空軍基地の敷地が広がっていた。
縦横に伸びる何本もの裏通りには、ガレージもない質素な家々が並んでいる。贅沢な壁材を使った建物も、煌びやかな大型ファーストフード店も見当たらない。テヘランの生活レベルは北へ行くほど高く、南へ下るほど下町然としてくるが、この地区もその地理的条件から貧しい地区であることは確かだろう。
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