東日本大震災の発生から2年半が過ぎた。復興への道のりは依然険しく、特に福島県では、東京電力福島第一原発事故の影響が暗い影を落としている。事故の収束も見えないまま大量の放射性物質を含む汚染水が海に流出し続ける中、原発事故に翻弄される続ける福島県の漁師まちを歩いた。 (栗原佳子 新聞うずみ火)
◆試験操業も中断 「汚染水はブロックできている」安倍発言に怒り

係留されたままの漁船。福島第一原発の汚染水問題の影響で試験操業が中止されている(福島県相馬市松川浦港 栗原撮影)
係留されたままの漁船。福島第一原発の汚染水問題の影響で試験操業が中止されている(福島県相馬市松川浦港 栗原撮影)

 

東北有数の漁港として知られる福島県相馬市の松川浦港。一日で最も活気付く朝の時間帯にもかかわらず、港は閑散としていた。時折、海鳥の鳴き声。岸壁には係留された小型船が連なる。
港の一角に、少し離れてテントが二つ、三つ。それぞれ10人前後の人影がある。早朝からガレキ撤去の作業で海に出て、ひと仕事を終えた漁師たちだった。津波で流された海中のガレキを除去するのだ。本来なら、9月から試験操業がはじまり、いまごろはシラスなどの刺し網漁をしているはずだった。しかし、福島第一原発の汚染水問題で、それも中止されたままだ。

安倍総理のプレゼンテーション、東京オリンピック招致決定からまだ1週間足らず。
「安倍さんは世界を相手にああ言ったけど、(汚染水は)止められない。地元ではみんな笑っているよ」「オリンピックだから『汚染水は大丈夫』だなんて、ふざけるなって」。
漁師たちは、あきれ返ったように言う。

相馬市は福島第一原発から北に約40キロ。太平洋に面した浜通りにあり、漁業は主力産業だった。黒潮と親潮が交じり合う恵まれた漁場で、150種以上の魚が獲れるという。相馬の「常盤物」といえば築地でも高級品。先細りが懸念される第1次産業にあって、相馬の漁業は、後継者不足という言葉とは無縁だった。

◆「福島の魚はダメ」~西日本には出荷できず
東日本大震災――。大津波は相馬の漁港を襲った。浜側の松川浦、原釜、磯部地区などは壊滅に近い被害を受け、漁師たちの家もほとんど流された。相馬市内では479人が命を落とし、漁協の組合員も、101人が亡くなった。家族を失った漁師も少なくない。

生活を再建しようとする漁師たちの前に、原発事故が立ちはだかる。

震災から1カ月。東電は汚染水1万5000トンを海に放出した。それによって、福島の漁師たちは漁の自粛に追い込まれた。
相馬では昨年6月に震災後初の試験操業が行われた。モニタリング検査を繰り返し、放射能の影響が少ないとされたタコやツブ貝など限られた魚介類が、全国でも厳しいチェックを経て出荷されるようになった。今年3月には震災後初めて、相馬の春の主力魚種コウナゴの試験操業も行われた。

そして6月に始まった試験操業。「ミズダコも築地では、いい値がつくようになった」そんな矢先に汚染水の問題が起きた。しかも、東電が公表したのは参院選直後の7月22日だった。
「福島の魚はダメということで、名古屋より西は一切受け入れてもらえなくなった」と漁師の今野智光さん(54)は悔しさをにじませる。今野さんはこのテントに集まる漁師たちが所属する原釜小型船主会の会長だ。(つづく)
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