◆生かされない2名死亡の重大事故の教訓
1999年9月、茨城県東海村の株式会社ジェー・シー・オー(以下「JCO」)の核加燃料加工施設内で、ウラン溶液が臨界状態に達して核分裂反応が起こり、至近距離で中性子線を浴びた作業員3名のうち、2名が死亡、1名が重症という痛ましい事故が起きた。この事故はその後の原子力行政にどう生かされたのか。京都大学原子炉実験所・助教の小出裕章さんに聞いた。(ラジオフォーラム)
◇起こるはずのない臨界事故
ラジオフォーラム(以下R):今から14年前、JCO臨界事故の第一報を耳にしたとき、どのような感想を持たれましたか?
小出:臨界事故だという情報が入ってきまして、まさかそんなことは起きない、とそのとき思いました。
R:臨界事故、臨界状態というのはどういうものなのか説明してください。
小出:ウランという物質は地球上にかなり広く存在しているのですが、濃度は低いので、自然界でウランが核分裂の連鎖反応を起こすということは実質的にはないのです。ウランの連鎖反応を持続的に起こさせるためには、様々な工夫をしなければなりません。そして、ウランの連鎖反応が持続するということを私たちは臨界と呼んでいます。
原子力発電所というのは、様々な工夫をしてウランの連鎖反応、つまり、臨界状態を維持して、そこから出てくるエネルギーを使う装置なのです。しかし、1999年9月30日に茨城県東海村のJCOという場所で起きた事故は、意図せずに計画もせずにいきなり臨界という状態が出現してしまいました。ですから、臨界という言葉に事故という言葉を繋げて臨界事故と呼んでいます。
◇それは日本だから起こった
R:研究者である小出さんから見て、この事故の重大性というのはどういうところにあるとお考えですか?
小出:まず、被曝というものが大変恐ろしい結末をもたらすということを、私自身も改めて認識させられたということです。3人の作業員の1人、大内さんは9月30日に被曝し、83日間治療を受けました。その経過が、『被曝治療83日間の記録』という題名で岩波書店から出版されています。すでに絶版になっていますが、今は『朽ちていった命』と名前が変わりまして新潮文庫になっています。1ページ読むごとに閉じてしまいたくなるほど、つらい内容の本ですけれども、大変、私は被曝ということを知るためには貴重な本だと思いますし、多くの方に読んで頂きたいと思っています。まず、それが一つ。
R:被爆の恐ろしさを認識されたということですね。他にも重大性が?
小出:さきほども述べましたが、この事故の第一報が入ってきた時、私は臨界事故など起きるはずがないと実は思ったのです。世界で原子力の開発が始まってから、臨界事故は何度か起きましたけれども、1970年代前半にはもう根絶されていて、こんな事故はもう二度と起きないというのが原子力の世界にいる人間の常識だったのです。
R:それが日本で起きてしまった。
小出:そうです。日本で起きたということに私は大変、驚きました。しかし、事故の経過を調べていくうちに、また、世界の人たちもこの事故の経過を知るにつれて、あっ、日本だから起きた事故なんだ、と言われるようになりました。
R:日本は科学先進国と言われていますが。
小出:違うのです。日本の人たちは、日本が科学技術先進国だと思っているはずです。原子力の世界でも、日本が世界の最先端を走っているという風に思いこまされているわけですけれども、決してそんなことはないのです。
この日本という国は長い間、鎖国をしていまして、西洋の近代文明、近代科学に触れるなんていうことは極々最近のことなのです。そして、ようやくにして西洋文明のものまねをしながらここまで来たわけです。まず、科学技術先進国という思いあがりを捨ててもらわなくてはいけませんし、こと原子力に関する限りは全くの後進国なのです。
日本は戦争に負けて原子力研究を禁じられていたということもありますし、元々の科学技術の力量の不足もあって、皆さんの思っているような原子力の先進国でも何でもないのです。そのために、臨界事故という世界で根絶されたはずの事故も日本では起こってしまったということです。
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