大阪野宿者殺害事件から一年 繁華街の事件現場を歩く
JR大阪駅高架下で路上生活をしていた富松国春さん(当時67歳)が少年5人に暴行され、亡くなった事件から、10月14日で丸1年を迎えた。大阪駅周辺のホームレスが置かれている状況は今どうなっているのか。支援団体や、今も現場付近で路上生活を送る人々に話を聞いた。(ラジオフォーラム・鈴木祐太)
◇安全な場所求め、身を寄せ合う
2012年10月14日未明、10代の少年数人が、JR大阪駅周辺で路上生活をしていた5人を次々に襲撃し、暴行を受けた1人である富松国春さんが死亡、他2人が怪我をした。事件からちょうど1年が経ったその日の同じ時刻、JR大阪駅周辺を歩いた。
大阪駅周辺は、最終電車が出ると駅構内や地下街が閉じられ、急に人通りが少なくなる。終電を逃したと思しき人の姿はあっても、ホームレスの姿はなかなか見つからなかった。事件現場は当然だが、この1年で新しくできた商業施設の周辺にも、少し離れた公園にも、どこにも見当たらない。交番で聞いてみたが、警察官も知らないという。
1時間ほど歩き回って、ようやく20人ほどのホームレスが集まる場所を見つけた。そこは事件現場から200mほど離れた阪急梅田駅の高架下。表通りからは少し奥まったところにある歩道で、昼間でも人があまり通らない都会の中のエアスポットのような場所だ。ジーパンにシャツといったカジュアルな服装の人、スラックスにYシャツといったサラリーマン風の人などが、ダンボールを敷いて寝ている。中には女性の姿もあった。
作業服のようなスラックスに白のTシャツを着た、こざっぱりとした姿の初老の男性に声をかけてみた。
「ここで寝ているのは近くに交番があるから。他のところで寝るより安全。以前、京都で寝ていた頃、生ゴミを突然、頭に置かれた経験がある」
早い人は午前4時過ぎには起き、4時半にはほとんどの人が荷物を持ってその場を立ち去る。始発電車が動き出す4時40分、駅員がやって来ると、残っていた人たちも一斉にその場からいなくなった。その後ろ姿はどう見ても、普通に街中を歩いている人にしか見えなかった。
この日、大阪駅から2キロ程離れた大川の土手沿いにもホームレスの人たちがいると聞いた。訪ねてみると、そこにもTシャツやYシャツ姿のカジュアルな服装をした、ホームレスのイメージとは異なる一見普通の人たちが、路上生活を送っていた。声をかけ、過去の経験を話してもらった。
「大阪駅の近くで寝ていたら、急にバケツに入った水をかけられた」
「酒に酔った少年は何するかわからないから怖い。だから、大阪駅周辺では寝ない」
「寝ていたら急に足を蹴られた。でも、怖いから仕返しもせず黙っていた」
幸いこの土手沿いで暴行を受けた人はいないという。しかし、過去に別の場所で暴行を受けた経験があると話した人は、半数以上に上った。そんなときは、黙って暴行を受け、時が過ぎ去るのをひたすら待つという。加害者は、少年から中年のサラリーマン風の男まで、年齢層は様々だという。
スラックスに白いYシャツを着て、髪を短く刈り上げたサラリーマン風の初老の男性は、1年前の事件について尋ねられると、こう言い切った。
「別に事件のことを知っても不思議に思わなかった。誰にでも起こり得ることだから」
寝る場所を選ぶ際、雨風を防げることはもちろんだが、暴行を受けにくいことが重要な条件となっている今の状況に、変化の兆しはないようだ。(続く)
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