「万寿台テレビ」がもし全国に流れると、国民の思想統制が難しくなるから、受信できる範囲を平壌市に限定していると、巷ではいわれていた。それで、平壌の外の地域では、「万寿台テレビ」の番組を録画したものを求めて見るようになったわけである。

90年代に入ると、次第に、中国から密輸されたり、外国出張者が密かに国内に持ち込んだりした「不法録画物」を、親しい人同士がこっそり集まって見るようになった。一般住民の間に広がったのは、香港映画(主にアクションやカンフー映画)や米国映画だったが、朝鮮の「保衛部時事映画」とよばれるものも回ってくることがあった。保衛部は政治事件を扱う情報機関である。

「保衛部時事映画」とは、保衛部要員たちがスパイを捕まえるのに参考とする映像資料や映画のことだ。「これがアメリカだ」「現代盗聴技術の発展」というタイトルのものや、米国のスパイ映画「007」[原文ママ、実際はイギリス映画(編集部注記)]も混じっていたと記憶している。「保衛部時事映画」は当の保衛部員を通じて一般社会に拡散していった。見るものが増えて、人々の間でビデオデッキに対する憧れは日増しに高まっていた。

私は大学入学を機に平壌に住むようになった。平壌では、学校や職場の会話で、最近どんな映画を見たのか、最近流行っている映画は何かなどが話題になることは珍しくなかった。

だが、家族と一緒に見た映画内容を子供が学校で自慢げに話してしまい、それが保安員(警察)の耳に入って、家族全員が追放されたという事例はいくらでもあった。友人や知人同士が集まって見る場合、そのうちの一人が密告したために、その場にいた全員が労働鍛錬隊(短期の強制労働をさせられる施設)に連行されたり、追放、場合によっては懲役に送られることもあった。

(つづく)
談 リャン・ジョンウ
整理 ファン・ミラン
※ 本記事は2011年3月「北朝鮮内部からの通信リムジンガン5号」に掲載した報告に加筆修正したものです。

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