○無駄だった3ヵ国協議...
イランの核開発を認めないアメリカがイランを軍事攻撃することを恐れたイギリス、ドイツ、フランスの欧州3ヵ国は、何とかイランに核開発を断念させ ようと、2003年以来、独自にイランと交渉を重ねていた(後にイラン核問題の協議は国連安保理常任理事国にドイツを加えた、いわゆる「5+1」協議とな る)。
この欧州3ヵ国との交渉のさなか、2004年11月に、イランは一時高まった安保理付託への危機を回避するため、一切のウラン濃縮活動の停止に合意 した。この停止は、イランと欧州3ヵ国が何か恒久的な合意事項に達するまでの一時的な措置として取られたものであり、交渉はここからが本番となる。
この交渉期間におけるメディアの報道は巧みである。たとえば、ほとんどの記事で見られるのが、「ヨーロッパ側は○○のような提案をしたが、イランは 受け入れなかった」とか、「ヨーロッパ側は○○するように強く要請したが、イランはその姿勢を変えなかった」という修辞法が取られ、常に「ヨーロッパ側が 説得と努力を重ね、(イランのために)外交的解決を目指しているにもかかわらず、イラン側は自らの主張に固執し、強硬姿勢を崩さない」という印象を読む者 に与えている。そしてそれをイランの"瀬戸際外交"と名づけ、まるでイランがより大きな経済的見返りを得るために欧州3ヵ国を"牽制"し、"揺さぶり"を かけ、わざと交渉を長引かせているかのような書き方をするメディアもある。明らかに読む者に北朝鮮を想起させようとの意図が感じられる。
本来、この件に関する報道は、イランが何を求め、それに対して英独仏がどのような妥協案を提示したか、というものであるべきだ。なぜなら、そもそもイラン側の主張には何も後ろめたいものはなく、それをヨーロッパ側が譲歩させようとしているのだから。
交渉の争点は、単純である。イラン側の主張は「核燃料(発電用低濃縮ウラン)とその技術の自国での開発」。それに対してアメリカの意を酌む英独仏 は、「イランの核開発の一切の放棄」を求め、見返りとして経済援助やWTOへの加盟促進などを申し出た。この交渉が合意を見ないことは、双方の要求のあま りの食い違いから明らかである。イランが「時間の無駄だった」と憤るのも無理はない。
2006年1月10日、業を煮やしたイランは、欧州3ヵ国との合意を破棄し、研究用のウラン濃縮作業を再開する。それが引き金となり、去る2月4日 の安保理付託となったわけだが、日本のメディアは「イランは協定違反をしたのだから、安保理付託はやむをえない」→「このようにイランは違反を繰り返して きた」→「だから核兵器開発を疑われても仕方がない」という論法の大合唱である。この濃縮停止の協定が合意された時、イラン側が口をすっぱくして「これは 自主的な措置で、停止する研究活動の内容や期間はイランが独自に決定する」と述べていたにもかかわらず。
この直後にロシアが、核燃料をロシアで製造し、それを提供しましょうと申し出た。あくまでウラン濃縮はロシアで行ない、濃縮技術のノウハウはイラン 側に伝えず、核燃料だけを渡す、というものだ。メディアの論評の中には、「イランの核開発が本当に平和利用を目的とするなら、この提案を受け入れるはず だ」と決め付けているものがある。しかし、技術を与えない、否、技術開発の意志すら許さないということは、先進国が後進国に後進性を強いるということであ り、帝国主義の考え方そのものである。イラン核問題がその後、長年に渡って膠着状態を続けることになった原因の一つは、欧米側のこうした姿勢にあると私は 思う。(つづく)