◆ 祖母の嘆き
翌日は父の棺が出ることに。弔問客もほとんどいなくなり、家族と、父の同僚数人が残っていた、静まり返った夜でした。父が亡くなってから顔を見せなかった祖母が、最後に父に会うために来ました。祖母は無表情で、たったの3日間で10年は老けたように見え、目は生気を失っていました。
祖母は、静かに父の顔を眺めていました。涙を流すこともなく、何か話しているわけでもなく、ただ静かに父を見つめていました。そんな祖母を見守る周りは緊張感に包まれていました。
しばらくして、祖母は父から離れ、遺体が安置されていないこちらの部屋にやってきました。そのまま帰るのかと思ったら、その部屋に座り込み、やはり何も言わず沈黙していました。
そんな祖母を見兼ねた伯母(伯父の嫁)が祖母に近づこうとした瞬間、祖母は突然起き上がり、ものすごい勢いで父のいる部屋へ突入しようとしました。ビックリした伯母が声を上げ、周りにいた男性陣が、一気に祖母に押さえかかりました。
それは、これまで一度も見たことがない祖母の姿でした。悲しみを越えた怒りが祖母を燃やし、ありえないほどの怪力を生み出していました。飛びかかる男性数人を次々と倒し、祖母は父に近づきながら、叫びました。
「もう一度だけ、ヨンの顔を見せてくれ。もう一度だけ見せてくれ。見せてくれ。見せてくれ...!」
男性たちが数人掛かりでやっと祖母を押さえ、父の同僚が祖母に安定剤と思われる注射をしました。渾身の力で男性たちを振り払おうとする祖母。だが、注射が効き始めたのか、だんだん力が弱くなり動けなくなった祖母は、悲しみに満ちた目で私たちを見回しました。
必死で祖母を押さえていた伯父や男性たちの目に涙が光り、伯父を除いた男性たちが祖母から離れました。意識が朦朧としてきたのか、祖母は、途切れ途切れの、とても悲しい声でつぶやきました。
「私がお前をどうやって育てたのか...親より先に逝くなんて、この不孝者、不孝者......」
祖母は静かに眠り始めました。そんな祖母を囲んで、私たちは思いっきり泣きました。祖母の姿が痛ましくて見つめることもできず、胸がズタズタに裂ける思いで大泣きしました。
翌朝、父の棺は出され、同僚たちが凍えた土を掘って作ってくれたお墓に、父は埋葬されました。みんなが新年を向かえワクワクしていたとき、私たちは父のお墓の前で手を合わせ、早すぎる父の死を悼みました。
父が亡くなってから、私はよく父の姿を夢でみます。1歳年を取るごとにその回数は増え、生前の父とできなかったことを、私は夢の中でやっています。
夢の中で、父は私に洋服や靴を買ってくれたり、私は父と散歩したり、恋愛の相談をしたりと、私が描いていた父子関係を築いています。たまに、父が寒いとか雨水が漏れていると訴える夢を見た朝には、父の墓に何かあったのではないかと、心配でなりません。
自由に北朝鮮に行き来できる日がきて、父の墓前で自分の不孝を謝る機会が与えられたらと、祈るばかりです。
著者紹介
リ・ハナ:北朝鮮・新義州市生まれ。両親は日本からの「帰国事業」で北朝鮮に渡った在日朝鮮人2世。中国に脱出後、2005年日本に。働きながら、高校卒業程度認定試験(旧大検)に合格し、2009年、関西学院大学に入学、2013年春、卒業。現在関西で働く。今年1月刊行の手記「日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩」は多くのメデイアに取り上げられた。
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