◆母と祖母の確執
そんな母の子育てに、姑である祖母は不満でした。女の子を、歌や踊りしか知らない子に育ててはならない、女の子には料理や洋裁を教え込まないといけない、というのが祖母の意見でした。何しろ、新品のきれいな洋服をバラバラにし、わざわざ「田舎くさい」洋服に作り直す祖母ですから、母と意見が合わないのも無理もありません。そして、ファッション感覚だけでなく、生活面でも母と祖母との間には溝が深まっていました。
祖母は、一番頼りにしている次男の嫁が、理想ばかり追うダメな嫁ではないかという不安を持っていました。母は、すでに結婚した息子の夫婦生活に干渉する姑に不満がありました。そして、そのようなすべてを「無視」している父の無関心さが、私の幸せな生活を危うくする一因になったのです。
弟が生まれ、2歳を過ぎた頃、両親は離婚しました。大人たちの事情なので、その理由はよく分かりません。また、私は今でもそのことについて深く知ろうとは思っていません。私と弟は父の方に引き取られました。
私の生活も大きく変わりました。父と生活していながらも、多くの時間を祖父母と一緒に過ごすようになり、嫌でも祖母の影響を色濃く受けることになったのです。私の住んでいるマンションと祖母の住んでいるマンションが歩いて2分という距離にあったことや、親が働いていて家を空ける時間が多かったことが影響し、午後からは祖母の家で時間を過ごして、晩ご飯を食べて家に戻るのが習慣となってしまったのです。
私の性格も変わり、よく笑い愛嬌もあったのが、無口で内向的になりました。ポムハルモニ(虎おばあさん―私の祖母)の下で、祖母が作ったチョンスロウン(田舎くさい)洋服を着させられ、祖母の仕事を手伝わされ、みるみるうちに「現地の子供たち」にとけ込んでいきました。
著者紹介
リ・ハナ:北朝鮮・新義州市生まれ。両親は日本からの「帰国事業」で北朝鮮に渡った在日朝鮮人2世。中国に脱出後、2005年日本に。働きながら、高校卒業程度認定試験(旧大検)に合格し、2009年、関西学院大学に入学、2013年春、卒業。現在関西で働く。今年1月刊行の手記「日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩」は多くのメデイアに取り上げられた。
.リ・ハナ
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