( ※ 当連載は、「私、北朝鮮から来ました ~日本に生きる脱北女子大生~ リ・ハナ」 を再構成してアップしております。)
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第6回 父との思い出―少年団入団式
◆待ち遠しい入団式
私も、日本を離れたときの父と同じ年頃になり、また日本での暮らしも経験した今だからこそ、「父は本当にかわいそうだ。そりゃ死んだ気持ちにもなるよな」と理解できるところも大いにあるのですが、まだ幼かった当時の私は、なぜ父はこんなにも暗く、怖く、友達のお父さんのように遊んでもくれないのかと不満がいっぱいでした。私たちに全く愛情がないのだろうかと悲しく思っていました。
そんな父からの愛情を感じた出来事が一つ。
人民学校(小学校)2年生のとき、私は全国朝鮮少年団への入団を控えていました。少年団は、小学校2年生から高等中学校4年生まで、強制的に加入させられる少年団体で(その後は金日成社会主義青年同盟、旧社労青に加入する)、赤い三角のネクタイと松明の形をしたバッジがその象徴です。
少年団への入団式は毎年3回、金正日総書記の誕生日である2月16日と金日成主席の誕生日である4月15日、アドンジョル(児童節―こどもの日)である6月6日に行われました。最初の2月16日の入団式には、クラスで選ばれた優秀な生徒5~6人が、その次の4月15日には、クラスのほとんどの生徒が、そして最後の6月6日には、前の2回で入団できなかった生徒が参加するのです。
生徒にとって2月16日に入団できることは誇りであり、次の入団式が行われる4月までの2ヶ月間、他の生徒と違って赤いネクタイを付けられることが自慢でした。そして、私は、その2月16日、第1回目の入団式に選ばれたのです。
4月の入団式は、広場で大勢一緒に行われ、ネクタイを結んでくれるのは先輩の学生たちですが、2月の入団式はカムダン(歌舞団―映画や演劇、公演などが観られる施設。行事なども行われる)で行われ、ネクタイを結んでくれる人は、胸に勲章をつけた軍・民の功労者たちなのです。
ただ、入団式に向けての練習もハードで、私は学校の授業が終わるとその練習に参加しなければなりませんでした。宣誓文や式の流れを覚え、行進のやり方なども厳しく指導されます。それでも私は、連日行われるハードな練習に疲れながらも、誇りと喜びで胸いっぱいでした。