( ※ 当連載は、「私、北朝鮮から来ました ~日本に生きる脱北女子大生~ リ・ハナ」 を再構成してアップしております。)
「私、北朝鮮から来ました」記事一覧
第9回 父の死(2)
◆父の遺言
父が亡くなる前の年、祖父の誕生日祝いがありました。ほとんど廃人になってしまった父も参加し、みんなでテーブルを囲んで写真を撮りました。そして、父や伯父は、祖父母に気づかれないように、別の部屋に行ったのです。その後をついて行った私は、祖父母が来ないか見張るように言われました。私は、今大人たちが何をしているのか、分かるようでもあり、分からないようでもありました。でも言われた通り、見張りをしました。
父は、自分の葬式で使う写真を撮っていたのです。そのときの、骨しか残っていないやせ細った父の顔が、今も私の記憶に残っている、ときどき夢に出てくる父の顔となりました。悲しみに満ちた父の目を、私は一生忘れることができません。
父が一日一日死を待ちながら生きていた夏、それは父が亡くなる数ヶ月前のことでした。父は話があるからと私と弟を呼び、言いました。
「お前たちに話があるんだ。僕はもう、そう長くはない。最後だと思って聞いてくれ...」
なんとなく予想はついていましたが、本当に言われると、ドキッとしました。胸が張り裂けるような痛みが走り、涙がこぼれました。何と答えたらいいか言葉が見つからず、父を見る勇気もありませんでした。私はのどに詰まるものをぐっと飲み込み、頭を下げたまま座り直して正座をしました。
「お前たちにはいろいろ苦労をかけた。すまなかったなぁ」
父のかれた声が聞こえました。込み上げる感情を抑えるかのように咳をした父は、しばらく間を置き、言葉を選んでいる様子でした。その間は、必死で涙をこらえている私には、耐えがたく長く感じられました。父の小さくなった体とともに、声も細くなっていることに、私はそのとき初めて気付きました。
「こうなるとはわかっていたが...。一つ悔しいのは、お前たちの結婚を見届けることができずにこの世を去ることだ。せめてお前たちの結婚は見たかったのだが、どうも叶いそうにないんだ。許してくれ...」
ついにこらえていた涙がこぼれ出しました。クックッと必死で声を殺して泣く私たちに、父は言いました。
「ハナは良い人に出会えると僕は信じる。心配なのはカンだ。今はスポーツをしているが...。まぁ、男として一度決めたことだ。諦めずに頑張って、成功してほしい...。つらいことがあっても、姉弟で心と力を合わせて乗り越えるんだ。お前たちが幸せに暮らすのを、僕が見守っていると思ってくれ...」
一度にそれだけたくさんの父の話を聞いたのは、そのときが最初で最後でした。父の遺言の前で、私たちはただ泣くばかりで何も答えられませんでした。私たちにできることは何もありませんでした。
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