日本有数の美しい村として知られた福島県飯舘村。原発事故が起きた1か月後の2011年4月に全村が計画的避難区域に指定された。農業や牧畜を営んできた村人たちは住み慣れた故郷を離れ、今、それぞれの地で避難生活を送っている。
パレスチナの女性や子どもたちを追った映画を制作してきた古居みずえ監督は、原発事故直後から飯館村に入り、村の女性たちの姿を映像で記録し続けている。「母ちゃんたち」にとっての村とは、そして原発事故とは。11月23日(土)には、映画を観て語ろう~「飯舘村の母ちゃんたちのこと」と題した集いが東京で行われる。(アジアプレス・ネットワーク編集部)
◆故郷を追われた飯舘村の女性たちに寄り添う
編集部:長年、パレスチナを取材してきた古居さんが、なぜ飯館村を取材しようと思ったのでしょうか?
古居:飯館村の場合、全村避難ということで、故郷と生活を追われ、家族もバラバラになる。それが、イスラエルの占領下で、故郷や家を奪われたパレスチナの人たちに重なって見えたのです。
編集部:村の女性たちはいま、どんな暮らしをしているのですか?
古居:月に2、3回、通っているのですが、村人はいま、仮設住宅や借り上げ住宅など、それぞれ別の地で暮らしています。村の女性たちの平均年齢は65歳で、80代も少なくありません。私と同じ世代が多いということもあり、お互いに話し始めると、ずっと話し込んでしまうほどです。
彼女たちの多くは農業や牧畜業で家計を支えてきましたが、現在、多くが仕事を持っておらず、私が取材している仮設住宅に暮らす77歳のお母さんは、村に昔から伝わる味噌や、保存食の凍み(しみ)餅などの作り方を、若い人たちに教えたりしています。故郷を忘れないでほしい、という思いでいっぱいなんです。