◆関西電力の札束攻勢、住民の寝返り...苦難を乗り越えて
旧ソ連のチェルノブイリ原発事故のあと、ほとぼりが冷めるのを待っていたかのように、関電は原発設置に向けた調査に伴う漁業補償金など約7億円を漁協に提示した。漁協内は親兄弟、親戚でさえ推進派と反対派に分かれ、結婚式や葬式、漁船の進水式にも呼ばないなど、「網の目のようになっている人間関係がぶつぶつに切られた」。

濱さんらが推した組合長までもが推進派に寝返った。
「仲間が離れていくときは辛かったね。500万円もらったとか、1000万円もらったとかという噂が流れるんですよ。『ああ、毒まんじゅう食わされたなあ』と。総会前には、関電やら推進派やら、いろいろと工作してくるし、警察も乗り出してくるからね。本当に阻止できるのかという不安と闘いながら、山場をいくつも乗り越えていきました」

一進一退が続く中、推進派の町長が漁協の総代会に乗り込んできて、頭を下げた。「次の町長選には出ない。だから最後の花道に、原発建設の事前調査だけ了解してもらえないか」。事前調査を決めたら、なし崩しで建設へ向かう。濱さんは立ち上がった。

「漁師の仕事はな、『板の一枚下は地獄』と言うんや。そんな所で働くもんはみんな仲良くせなあかん。半年前、組合員が海で行方不明になったとき、みんなが漁を休んで捜した。あのときは賛成派も、反対派もなかった。町長、この気持ちがわかるか」
町長は反論する言葉もなかった。「わかった。この話は今日で終わりや。約束する」

町長は原発誘致を取りやめ、漁協も「反対」で意見を一つにまとめた。1カ月後、原発反対派の町長が当選し、原発建設は事実上ストップする。
国が小浦地区の「開発促進重要地点」指定を解除するのは2005年のことだ。

真夏を思わせる日差しも西に傾き、「民宿の用意せないかんので」と立ち上がった濱さんに、住民たちのその後について尋ねた。
「原発ができていたら溝はさらに広がっていたでしょう。できなかったから修復できた」
【矢野 宏 新聞うずみ火】
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