関西訴訟最高裁判決9年の集会で。中央が坂本美代子さん、右隣が元原告の小笹恵さん(撮影:栗原佳子)
関西訴訟最高裁判決9年の集会で。中央が坂本美代子さん、右隣が元原告の小笹恵さん(撮影:栗原佳子)

 

2004年の関西水俣病訴訟最高裁判決は、チッソ水俣工場の排水を規制せず被害を拡大させたとして、国の責任を初めて認めた。しかし国はの「患者切り捨て」と批判される厳しい認定基準を改めようとせず、救済策は不十分なままだ。公害の原点といわれる水俣病が公式に確認されて今年で57年。被害の全容は未だつかめていない。(栗原佳子 新聞うずみ火)

◆チッソ、社内実験で水俣病の原因は工場排水と判明~だが公表せず
加害企業チッソの創業は1906年。いまの鹿児島県伊佐市に設立した電力会社「曽木電気株式会社」に始まる。08年には「日本窒素肥料株式会社」が設立され、水俣工場が建設された。水俣は企業城下町として発展していく。

チッソがメチル水銀を含んだ排水を流し始めたのは32年。水俣病公式確認の翌年57年、熊本大学が「原因は工場廃水に汚染された魚を食べたことである」と報告。59年には原因物質が有機水銀にあることを突き止めた。しかしチッソは大学の調査に協力せず、そればかりか御用学者を動員して「旧日本軍が沈めた爆薬」などと反論した。社内実験で排水が原因と判明したが、それも公表しなかった。高度成長真っ只中。当初、原因究明と対策に乗り出した厚生省は、操業を停止させたくない通産省の圧力に屈し、対応を放棄したとされている。

59年、水俣の患者たちはチッソに補償を求め立ち上がった。チッソは廃水が原因と知りながら「見舞金」で補償問題を処理。これによって「水俣病は終わった」という空気が醸成される。68年の政府の公式公害認定まで9年間、有機水銀は排出され、被害は広がり続けた。65年には新潟県阿賀野川下流水域に第二の水俣病が発生してしまった。

なお、この見舞金契約の悪質さは、チッソの責任を認めた73年の第一次水俣病訴訟の熊本地裁判決でこう断罪された。「被害者の無知に付け込んで行われた契約で、公序良俗に反して無効である」と。

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