◆ 武力ではなく対話で~少数民族の長年の願い、実現にむけて
パンロン会議とは、1947年2月にビルマ族代表のアウンサン将軍(アウンサンスーチー氏の父)とシャン族・カチン族・チン族などの少数民族代表が、連邦として独立することに合意した会議である。しかし、その合意内容は起草された最初の憲法に十分に反映されず、少数民族による「真の連邦制」の実現要求が続いた。
1962年初頭には、ウー・ヌ首相(当時)主宰で「連邦のあり方に関する会議」がヤンゴンで開催された。パンロンの理念と乖離した状況を変え、民族の自決権を保証する「真の連邦制」を実現するため、政府、少数民族、政党の代表が集まり、憲法改正について真剣な議論が交わされていた。しかし、その会議の最中に、ネウィン将軍率いる国軍が軍事クーデターを起こし、全権を掌握。「真の連邦制」を求める憲法改正の動きは封じ込まれた。少数民族勢力の多くが武装闘争路線に転じ、半世紀以上もの間、中央集権的支配に抵抗を続けてきた。
今年になって、政府側は従来の武装解除や国境警備隊への再編などの主張については徐々にトーンを弱め、妥協する姿勢を見せ始めた。政府の和平関連を担当するアウンミン大統領府大臣はパンロン的な会議の開催を公言するようになり、政府側はWGEC案の大半に同意しているといわれる。
「真の連邦制」を求める少数民族の闘いは今、再び武力ではなく、対話によって行なわれようとしている。「全土停戦協定」調印は、封印されてきた少数民族の願いを再び現実化する大きな好機となるにちがいない。
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