シリア・ダマスカス郊外での化学兵器を使った攻撃事件。いったい何が起き、どんな被害がもたらされたのか。人びとはどのような状況におかれているのか。攻撃を受けた町の地元市民や医師から伝えられる過酷な状況。解説:玉本英子(アジアプレス)
◆一連の攻撃で数百人以上が死亡、犠牲の多くは一般市民
8月21日、シリアの首都、ダマスカスの郊外で、化学兵器を使った攻撃が起きた。シリア政府軍と反政府派との戦闘で、化学兵器が使用されたという疑いは、これまでにも何度も出ていたが、双方とも、「化学兵器を使用したのは相手側」といった主張を繰り返してきた。
8月21日の攻撃では、被害を受けた市民の映像が国外のメディアに広く伝えられたことから、化学兵器の被害の規模が少しずつ明らかとなった。町ではいったい何が起き、人びとに、どんな被害がもたらされたのか。
事件が起きたのは、ダマスカス郊外に広がる地域。化学物質を装填した砲弾が炸裂した場所は多数の地区や町におよび、そのほとんどが、反政府派が優勢な地域であった。攻撃はこれらの地区で同時多発的に起きたとみられている。一連の攻撃で、数百人以上が死亡した。
地元の電話回線は戦闘で寸断されているため、市民運動グループが密かに現地に持ち込んだ衛星電話回線を通して市民らと連絡をとり、被害の状況について話をきいた。
ダマスカス郊外の東部地域に住む女性、ディマ・アルシャミさん(29)は、当日のようすをこう話す。
「激しい砲弾で大きな轟音がひびき、化学兵器が炸裂した。爆撃現場はひどい状況で、負傷した人を運び出すのに必死だった。あまりの犠牲者の多さにどうすることもできなかった。
人びとは恐怖におびえるばかりで、あちこちで混乱が起きていた。たくさんの負傷者が次々と病院に運ばれてき。激しい嘔吐を繰り返し、口や鼻から泡を噴く人もいた。痙れんや呼吸困難になって、息ができない状態の人もいた。とくに子どもに重い症状が出て、とても苦しがっていた。病院に搬送されてきたときには、すでに死亡していた人もいた」。
実際に爆発を目撃した人の話では、「ロケット弾が炸裂したあと、外に出た人が倒れだした」という。
被害が出た場所は広範囲にわたり、これらの地区は反政府勢力の自由シリア軍の支配地域だったため、 「この攻撃は政府軍によるもの」、と地元の人びとは証言している。
化学兵器の攻撃を受けた地域のひとつにザマルカという町がある。事件当日、町の病院で負傷者の救護と治療にあたったアブ・オマル医師は、こう証言する。
「戦闘機や迫撃弾など、これまでにいくつもの爆撃を経験してきたが、今回の攻撃はこれまで聞いたことのない爆発音だったと皆が証言している。私がいた病院だけでも4時間の間に500人を超える被害者が搬送されてきた。私の病院に搬送された被害者のうち、151人が死亡した」
この病院の死者の半数が女性や子どもだったという。その後、ザマルカでは政府軍機による空爆がおこなわれたため、犠牲者の遺体は身元を確認する時間もないまま、学校近くの空き地などに埋められた。
事件後、国連は現場一帯の複数の地域に調査団を派遣し、被害の実態調査と砲弾片や土壌の採集などを通じて使用された化学物質の分析をおこなった。調査団は9月16日、シリアの化学兵器使用に関する調査報告書を公表。被害者の血液検査や症状などから、ロケット弾に装填された化学物質は、神経ガスのサリンであったと特定した。
アメリカのオバマ大統領は、政府軍によるもの、とアサド政権を激しく非難し、シリアへの軍事介入を示唆した。しかし、この攻撃をどの勢力がやったのか、いまもって確証はない。事件後、さまざまな分析や憶測も出た。
軍司令部からの確固とした命令、離反した政府軍側の軍人が、アサド政権に政治的ダメージを与えるためにやったもの、さらにはアメリカやイスラエルの情報機関の関与などといった陰謀を示唆するような見方まで出ている。
ただ、はっきりとしていることは、この化学兵器の犠牲者の多くは、女性や子どもを含む、一般の市民だったということだ。
◆「今でも毎日、人が殺されています」~地元医師の訴え
ザマルカは、町のほとんどが戦闘で破壊され、幹線道には政府軍が厳重な検問をおき、医薬品や食料の搬送も難しくなっているという。
「この4ヶ月以上、パンもない。住民の飢えは極限に達している。住居も失った。それでも住民はアメリカに何の期待も寄せていない。世界に支援を求めても、この2年半のあいだ爆撃と破壊は止まなかった。各国とも、ただ話し合いを続けるばかりだった。化学兵器使用が分岐点といわれていたが、今回それが実際に使われた。それまでに、いったいどれほど多くの人が殺され、虐げられてきたかを忘れないで下さい」
アブオマル医師は、事件後も町に残って医療活動を続けている。
内戦でのこれまでの戦闘での死者は11万を超え、国外に逃れた難民は200万人に及んでいる。逃げ場がなく、国内に残された人びとは食料が途絶えるなか、今も戦禍のなかで、暮らしている。【玉本英子】
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