特定秘密法の行方を案じる、現在104歳の西川さん。戦時中「クリスチャンとして、侵略戦争に加担してはいけない」と反戦活動に参加、治安維持法違反に問われ、刑務所と警察の留置所で、延べ4年間も自由を奪われた。(撮影:栗原佳子)

特定秘密保護法は、かつての弾圧法になぞらえ、「21世紀の治安維持法」とも称される。今年104歳の大阪・貝塚市の西川治郎さんは治安維持法の犠牲者の一人。過酷な拷問や獄中生活を強いられた西川さんは危惧する(栗原佳子・新聞うずみ火)

◆特定秘密保護法を「昔の特高より、治安維持法より厳しいことに」と西川さん
蔵書がずらりと並ぶ書斎。本や冊子、辞書が山積みになった机には、特定秘密保護法案審議の重大局面を伝える新聞が広げてあった。毎日、何時間もかけて読むという。
「これは憲法に関わる問題なのです。『国民主権』は奪われてしまう。安倍首相はとにかく憲法を変えて、日本をアメリカと一緒に戦争できる国にしようとしている」。西川さんは新聞の見出しを指差し、表情を引き締めた。
1909(明治42)年、三重県に生まれた西川さんは、13歳で大阪の商店に働きに出た。店の主人はクリスチャン。夜学にも通わせてくれ、西川さんはやがて主人の影響で受洗。そして牧師を目指し30(昭和5)年、同志社大学予科に入学した。満州事変の前年。学内では学生新聞の発行が停止され、西川さんは発行停止反対ストの先頭に立った。その後、横浜の神学校に移ったが、そこも退学処分に。
西川さんは「クリスチャンとして、侵略戦争に加担してはいけない」という強い信念で、「日本戦闘的無神論者同盟」という文化団体に参加。治安維持法違反に問われ、2回検挙された。最初は「非合法の政治団体に入る可能性がある」という理由で執行猶予付きの有罪判決。次は執行猶予中に左翼に協力したなどとされ、2年の実刑判決を受けた。刑務所と警察の留置所で、延べ4年間、自由を奪われた。
「最初に捕まったときはいきなり共産党と決めてかかられ、桜の棒で太腿を何十回も、みみず腫れになるほど叩かれました。一週間全く動けないほどでした」
治安維持法は25(大正14)年、社会主義運動や共産主義活動を未然に防ぐため制定された。天皇を中心とした国家体制や私有財産制度を否定する結社や活動を禁止、違反者は10年以下の懲役、それが28(昭和3)年には最高刑が死刑になった。41(昭和16)年にも法改正。取締りの適用範囲は拡大を続け、多くの一般市民までもが身柄を拘束された。
西川さんは戦後、兄と設立した製粉会社を経営すると同時に、犠牲者らでつくる「治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟」の一員として、国の謝罪、国家賠償を行う法律の制定を求めてきた。しかし、国は謝罪どころか悪法の復活を目論む。
「これも秘密、あれも秘密。何が秘密かわからない。法案が通れば、どんどん拡大解釈されていくでしょう。昔の特高より、治安維持法よりも、もっと厳しいことになると思います」
【栗原佳子・新聞うずみ火】

★新着記事