◆放射能被害で帰郷できない~廃墟と化した町
商店街に人影はなく、行き交う車もない。シーンと音のない街中で、信号がついていた。店舗もほとんどは傾いている。壁が壊れたスナック、ガラスが粉々になった洋品店。倒壊した美容院の時計が地震発生の1分後の2時47分を指して止まっていた。
「放射能被害のため、この街の時間は止まったままです。地震や津波災害だけなら帰ってくることができるのですが......」と言って、小川さんはため息をこぼした。
富岡町は福島県の東側、浜通りの真ん中に位置する。西側に阿武隈山地、東側に太平洋を望む豊かな自然に恵まれ、震災前は1万6000人余りの人々が生活していた。運転を停止しているが、東京電力福島第二原発が立地している。
あの日――11年3月11日の大地震で甚大な被害を受け、ライフラインが寸断した。
何が起きているのか情報が得られないまま、翌12日を迎える。町の広報で「全町避難」が伝えられたとき、警官や東京電力の社員たちは防護服に全面マスク姿で待機していた。町民はこのまま帰れなくなるとは知らされず、着の身着のままの状態だった。
警戒区域が解除されたのは今年3月のこと。放射線量に応じて「帰還困難区域」(年間被ばく線量50ミリシーベルト超)、「居住制限区域」(年間20ミリシーベルト超~50ミリシーベルト以下)、「避難指示解除準備区域」(年間20ミリシーベルト以下)の三つの区域に再編された。町の人口の3割を占める地域が帰還困難地域で、それ以外は自由な一時帰宅が可能になった。一方で、帰還困難地域内にある家や学校はゲートやガードレールで囲まれ、許可なくして入れない。