◆震災後の体調悪化、そして自殺...福島県の震災関連死者数は他県の2、3倍
小川さんの自宅は小高い住宅街にあった。木造2階建てで、亡くなった父親が28年前に建てたのだという。福島第一原発から直線にして10キロの距離である。 家を囲む生垣は伸び放題、庭の雑草も人の背丈を越えるまでに生い茂っていた。外壁のひび割れも余震のたびに進行しているという。
「廃墟です。もう悲しみもわいてきません」
1年ぶりの一時帰宅だというのに、小川さんは中に入らなかった。部屋の中はどこもネズミの糞だらけですから――と言って苦笑いを浮かべた。
震災の年の10月に初めて一時帰宅したとき、母親を連れてきた。「ひどいね」と言いながらも母親は淡々としていたという。
「家は人が住んで換気して保っていくもの。3年近くもほったらかしですから、もう住めるような状態ではありません」
富岡町はこれから除染などの環境整備を行い、震災から6年後の17年から20年にかけて住民の一律帰還を目指している。だが、居住制限区域である小川さん宅周辺の空中線量は毎時4マイクロシーベルト。通常の50倍以上である。住民の帰還が容易ではないことはこれだけでもわかる。
福島県下で震災後、避難先で体調を崩したり、自殺に追い込まれたりした震災関連死は1539人(8月末現在)。宮城県(869人)の2倍近く、岩手県(413人)の3倍以上である。福島県の市町村別で見ると、富岡町は190人で、南相馬市(431人)、浪江町(291人)に次いで3番目に多い。
18年前の阪神・淡路大震災の発生直後、被災者からは「命があっただけでも良かった。お互い頑張ろうな」という声が聞かれた。だが、2年、3年過ぎると、「なんであのときに死ななかったんやろ」という言葉に変わっていた。
これ以上悲劇を繰り返さないために何ができるのか。いわき駅で自問しながら、小川さんの背中を見送っていた。
【矢野 宏・新聞うずみ火】

★新着記事