◆刑事法の人権保障・人身の自由が侵害される危険性
特定秘密保護法案は次のように罰則を定めている。広く一般国民も処罰の対象である。
(1)防衛(2)外交(3)スパイ防止(4)テロ防止の4分野で、行政機関の長が指定する特定秘密を漏洩した国家公務員や契約業者や都道府県の警察職員らに最長で懲役10年、人を欺く・脅迫・窃取などで特定秘密を取得した者に最長で懲役10年、漏洩や取得の共謀・教唆・煽動をした者に最長で懲役5年の厳罰を科す。
特定秘密保護法案には「牙」が潜んでいる。憲法第31条「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」という刑事法の人権保障、人身の自由を侵害する危険性である。
それを危惧する刑事法研究者123名が同法案への反対声明を発表した。呼びかけ人代表の村井敏邦・一橋大名誉教授が訴える。
「行政機関が国会を関与させず一方的に指定する、基準や範囲が曖昧な特定秘密を根拠に、処罰の範囲や運用基準が曖昧な罰則を設けるのは許されない。罪刑法定主義の趣旨に反する」
罪刑法定主義とは、どんな行為が犯罪か、どんな刑罰を科すのかを、議会が定める法律に明記しなければならないという近代刑法の原則で、罰則の乱用を防ぐためにある。
しかし同法案では、人を欺く・脅迫・窃取などと並んで、「その他の特定秘密を保有する者の管理を害する行為」による特定秘密の取得も処罰される。
では「その他」にどんな行為が含まれるのか、国会で森雅子・同法案担当相ら政府側は、自ら具体的に明らかにしようとしない。
法案を所管する内閣情報調査室に聞くと、「法律ができて運用してみなければわからない」との曖昧な答えが返ってくる。
例えば自衛隊と米軍の訓練や基地・原発の警備態勢などの撮影も、「個別具体的ケースに応じて判断する」と否定しないなど、調査・取材活動に広く網が掛けられるおそれが強い。
警察庁、検察庁、法務省にも罰則の運用基準を問い合わせたが、「国会審議中で、法案の所管は内閣情報調査室。当方では答えられない」と口をつぐむ。
秘密指定も秘密なら、罰則運用も秘密なのである。これでは、「その他」の「管理を害する行為」は不明確なうえ、事実上無限定で、警察や検察の判断次第になってしまう。罪刑法定主義をないがしろにしているとしか言えまい。
「さらに、特定秘密の内容が令状や起訴状などに明記されないまま家宅捜索、押収、逮捕、勾留、取り調べ、起訴がなされ、裁判でも特定秘密の内容が明かされないまま審理され、有罪にされかねない。適正な刑事手続、公正な公開裁判、弁護を受ける権利などが脅かされる」と懸念するのは、呼びかけ人のひとり、新倉修・青山学院大教授だ。
まさに憲法第31条が踏みにじられる事態が起きかねない。
◆心の中にまで踏み込んで処罰する
日弁連など弁護士団体も危機感を強め、自由法曹団は緊急意見書「徹底解明・秘密保護法案」を発表した。その中に罰則の「共謀・教唆・煽動」の危険性が、次のように説かれている。
「どれも犯罪の実行開始前の段階で罰するもので、犯罪の実行を罰するという近代刑法の原則に反する。例えば、会議で取材や調査研究を企画することも、原発労働者に現状告発の運動を訴えることも、特定秘密の漏洩や取得の共謀・教唆・煽動と見なされ、処罰されかねない」
自由法曹団団長の篠原義仁弁護士がこう指摘する。
「共謀・教唆・煽動を立証しようとすると、密告、通信傍受、盗聴、スパイの潜入、おとり捜査、自白の強要などの手段が使われる可能性があり、冤罪のおそれが強まる。この法案は国民を威嚇し、憲法第21条『集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する』を侵害する」
現在、法務省の法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」では、通信傍受の対象犯罪の拡大や室内盗聴捜査の導入も検討されており、懸念は増すばかりだ。
「共謀・教唆・煽動の罰則は実行の前段階、つまり心の中にまで踏み込んで処罰する。かつて言論・思想弾圧に猛威を振るった治安維持法に通じる恐ろしさだ。現憲法下の刑事法の人権保障など人権規定は、戦前の圧政を支えた治安維持法などへの反省に基づいている。それを台無しにする秘密保護法案は成立させてはいけない」と村井名誉教授は力説する。
◆治安維持法と似た圧迫感
その治安維持法で検挙された人に話を聞いた。北海道音更町在住で92歳の松本五郎さん。太平洋戦争が始まる1941年の9月、身の回りの生活を見つめる図画教育を実践していた旭川師範学校(現北海道教育大旭川校)と旭川中学(現旭川東高校)の美術教師、学生、卒業生ら計26人が特高警察に検挙された「生活図画事件」の当事者の一人だ。当時、旭川師範学校の5年生で美術部長を務めていた。
「私たちが描いたのは、寄宿舎での読書や友人との語らいなど学生の日常で、国家転覆を煽るような絵ではない。生活を見つめ、この現実の中で自分たちはどう生きるべきかを模索するのが目的だった。でも、それが危険思想視された。当時は情報も言論も統制され、戦意高揚の宣伝しか許されない時代だった」
松本さんは留置場に放り込まれ、面会も文通も読書も許されず、自白を強要された。
1年3ヵ月間勾留され、神経が衰弱し、寒さで凍傷にもなった。警察が用意した共産主義に関する参考書のような本を読まされ、要点をまとめるよう命じられて書いた文章が、「共産主義者」の証拠にされた。検挙された者のうち3人が2年半~3年半の実刑、松本さんを含む13人が執行猶予付き有罪判決を受けた。
「秘密保護法案には、治安維持法と似たものを感じて、圧迫感を覚える。当局から心の中を勘繰られ、危険視されたら、当局の解釈次第で処罰されるのではないか。本当のことを見たり、聞いたり、言ったりできない時代に再びなってほしくない」と松本さんは警鐘を鳴らす。
◆個人の自由や人権よりも国家を優先させる発想
秘密保護法案を自民党で取りまとめたプロジェクトチーム座長、町村信孝元外相は11月8日の国会審議で、「『知る権利』が国家や国民の安全に優先するという考え方は、基本的な間違いがある」と述べた。
同法案の根底にあるのは、個人の自由や人権よりも国家を優先させる発想ではないか。それは、自民党改憲草案(2012年)が「国民の責務」として「常に公益及び公の秩序に反してはならない」と強調する点と通じ合う。
前出の反対声明呼びかけ人代表の斉藤豊治・甲南大名誉教授が指摘する。
「この法案は自民党改憲草案の先取り。草案には国防軍の創設に伴う軍事機密の保護法制導入が記されている。安倍政権が目指す集団的自衛権の行使容認と同じように、改憲の手続きを経ずに憲法の規定を覆す実質的改憲、憲法破りのクーデター的手法で、その向う先は戦争のできる国家体制だ」
秘密保護法案の陰で、国家絶対の治安維持法の時代に通底する秘密の闇が牙を研いでいる。私たちの社会は今、戦後、憲法のもとで保障された自由と人権を根こそぎ失いかねない瀬戸際にある。(つづく)
【吉田敏浩プロフィール】
1957年生まれ。ジャーナリスト。アジアプレス所属。ビルマ(ミャンマー)の少数民族の自治権闘争と生活・文化を取材した『森の回廊』で大宅壮一ノン フィクション賞を受賞。近年は戦争のできる国に変わるおそれのある日本の現状を取材。著書に、『密約 日米地位協定と米兵犯罪』『赤紙と徴兵』『沖縄 日 本で最も戦場に近い場所』『ルポ 戦争協力拒否』『反空爆の思想』など。
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