第15回 「模範生」だった人民学校時代(2)
◇ 人民学校のプログラム
学校での授業は朝8時から2時くらいまで行われました。金日成元帥様、金正日将軍様の革命活動という科目を中心に、国語や数学などの授業が行われるのですが、どの授業も、基本的には金父子に対する忠誠心を教え込むようなプログラムになっていました。金父子の誕生から成長、数々の功績を教えられ、金父子だけが、我が人民を救ってくださる首領であることを、耳にたこができるほど聞かされるのです。
今思えば、実話というよりはむしろ神話に近い話を、よくもまんまと信じていたなと苦笑いしてしまいますが、当時は、そのすべてが真実であると信じていました。物心がついてから毎日絶えず教え込まれ、世の中全体がその内容どおり回っていると信じきっていました。私たちは何を疑って良いのかさえ知らなかったのです。
それに、南朝鮮(韓国)や米国、日本の軍国主義者たちが過去に行った悪辣な蛮行、そして現に行っている(と教えられました)挑発行動、それに立ち向かって果敢に戦った革命烈士たちの逸話が、毎日の授業で伝えられました。私たちは、もう金父子に従って共産主義を建設する道以外、幸せはないと信じ込むようになるのでした。
楽しい授業もありました。音楽です。教室の一番前に先生の教卓があり、その横にオルガンが置いてありました。そして、金父子の肖像画は、私たち生徒からよく見えるように前の壁の高いところに掛かっており、その下の一面には黒板がありました。
音楽の授業では、先生が弾くオルガンの音に合わせて歌ったり、楽譜の読み方を学んだりします。金父子に関する歌だけでなく、童謡や民謡も歌うなどして、いつもあっという間に授業が終わるのでした。
楽しい授業があれば、苦手な授業も。私が一番苦手だった授業は体育の時間です。運動が苦手な私は、いつも仮病を使って授業をサボっていました。「頭が痛い」、「体育服を忘れた」など。それでも先生に捕まって授業に参加すると、簡単なプログラムもクリアできず、クラスで笑い者にされてしまうのでした。
体力診断テストではいつも最低レベルの落ちこぼれで、先生も、何で体育はそんなにダメなのか分からないと、あきれて首を振っていました。金日成元帥様の教示どおり「知(育)・徳(育)・体(育)」を兼ね備えた社会主義・共産主義建設者になるためには、体育においても模範生にならなければならないと先生は言うのです。けれど、運動神経ゼロの私にはどうしようもありませんでした。
学校の大きな行事としては、入学式や卒業式以外にも、少年団入団式、ソンムル授与式、遠足、運動会などがありました。
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