◇ 大人たちも取り締まる「糾察隊」
人民学校時代は、年中行われるたくさんの行事にうんざりするほど参加しました。そのための行進練習などを学校で行い、広場に各学校が集まってリハーサルをして、当日の行事に備えるのです。

移動のときも自由行動は許されず、必ずクラス別に列を作って、歌を歌いながら目的地まで移動しなければなりませんでした。行進曲の先頭を切るポジションが決まっていて、1曲が終わると次の曲、また次の曲という具合に進みます。私もよくその役割を担当することがありましたが、隣の子とおしゃべりをしていて、何も考えず出まかせに同じ曲を繰り返して、よく皆に怒られたりしました。

糾察隊事業では、クラスで数人ずつグループになって道路や小道などに陣取り、通りを行く大人たちの服装などを取り締まることが多かったです。「糾察隊」と書いた腕章をつけた私たちは、人目につかないように隠れて、行き来する人たちを注意深く観察しては、問題のある大人を、数人で一気に囲むのです。

すると、たいていの大人たちは怒ったりせず、素直に私たちの質問や批判を受け入れてくれます(中にはひどく怒る人もいますが、そこは腕章をつけたこっちが優勢、強気で押し切るとほとんどの人は降参?してくれます)。私たちは、名前や職業などを聞いて報告書に記入し、あなたのような大人が社会規律を乱すのだと一通り説教(?)して、通してあげます。

取り締まるのは上からの方針にもよりますが、基本的には、金日成主席のバッジをつけているかどうか、服装や髪型が資本主義に染まっていないかどうか、そして女性の場合は、スカートをはいているかどうか(ズボンはダメでした)、自転車に乗っていないかどうか、などでした。女性に対する規制が多いので、取り締まりを受ける人も女性が多かったです。

最初は、大人たちに威勢を張ることが面白くて一生懸命にやっていた私たちですが、次第につまらなくなり、集まっておしゃべりばかりすることが増えました。取り締まっても注意だけして見逃してあげたり、見ても見ぬ振りをしたりすることも...。でも、一応報告書に書かないといけないので、みんなで知恵を絞り、架空の名前をいっぱい書き込んで、市青年同盟委員会に報告していました。何事も形式が大事ってわけです。(つづく)

著者紹介
リ・ハナ:北朝鮮・新義州市生まれ。両親は日本からの「帰国事業」で北朝鮮に渡った在日朝鮮人2世。中国に脱出後、2005年日本に。働きながら、高校卒業程度認定試験(旧大検)に合格し、2009年、関西学院大学に入学、2013年春、卒業。現在関西で働く。今年1月刊行の手記「日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩」は多くのメデイアに取り上げられた。
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