女子生徒たちは、綿製のブラジャーで胸がぺっちゃんこになるまできつく締め(中国製のブラジャーは、胸を大きく見せるものが多かったので、私たちの間では、手作りの綿ブラジャーが重宝されていました)、目立たなくするために必死でした。今思えば、なんてアホらしいことを...。

そして、髪飾り程度のアクセサリーしか許されなかった私たちにとって、「飾り」のアイテムになったのが、常に胸に付ける金日成主席の肖像画(バッジ)でした。金日成社会主義青年同盟(高等中学校4年生から強制的に加入させられる団体)に加入してからそのバッジを付けるのですが、私たちはそのバッジを、オシャレアイテムとして考えるようになりました。それは、金日成主席に対する忠誠心云々の話ではなく(そこまで深く考える学生はいませんでした。

もちろん、オシャレアイテムだと口に出して言う人もいませんでした)、どうせ毎日付けるのなら、自分を引き立たせるアイテムとして使おうじゃないかという単純な考えから来るものでした。厳しい制限の中でも、何とか楽しもうとする若者たちの「情熱」とも言うべきでしょうか。

金日成主席の肖像画バッジは、丸い形に若き金主席の顔が描かれたものなど、いろいろな種類がありましたが、当時流行ったのは、たしか、普通のバッジより一回りは小さい丸型のバッジと、労働党旗の中に金主席が描かれたバッジだったと記憶しています。この種類は普段はなかなか手に入らないため、大人たちに頼んで入手したり、友達同士で物々交換したりしました。私は、旗型のバッジが手に入らず、小型のバッジで満足していました。
(※)苦難の行軍・・・北朝鮮では90年代に数十万から数百万人の餓死者を出す経済的混乱期があった。「苦難の行軍」という言葉は、当時、この苦境を乗り越えるために北朝鮮当局が用いたスローガン。

著者紹介
リ・ハナ:北朝鮮・新義州市生まれ。両親は日本からの「帰国事業」で北朝鮮に渡った在日朝鮮人2世。中国に脱出後、2005年日本に。働きながら、高校卒業程度認定試験(旧大検)に合格し、2009年、関西学院大学に入学、2013年春、卒業。現在関西で働く。今年1月刊行の手記「日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩」は多くのメデイアに取り上げられた。
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