◇ 絶望的な知らせ
自殺未遂を起こしてから間もなくして、私は叔母の家にしばらく預けられることになりました。
叔母の子供たちの世話と家事をほとんど引き受けることになった私ですが、叔母ともうまくやっていけるようになり、暗鬱な気持ちも少しずつ立ち直りつつあった頃、母から絶望的な便りが舞い込んできました。
「私、北朝鮮から来ました」記事一覧
それは、戸籍が戻ると信じて数年間を耐えてきた私たちにとっては、まさに最終宣告でした。
「もう希望はない」と、母は、私と弟に言いました。私たちに残された道は、戸籍が移された辺鄙な農村に行って、死ぬまで生きながらえるだけだと言うのです。
頭の中が真っ白になりました。農村に行くことが嫌というより、私自身には何の罪もないのに処罰を受けなければならないということが、悔しくてなりませんでした。
私は何も悪いことをしていないのに、なぜこんなにも翻弄されなきゃいけないのかと思うと、怒りを超えた、深い悲しみが湧き上がってきました。
頭を下げたまま黙り込んだ私と弟に、母が、少し低い声で言いました。
「私の話をよく聞いて。絶対に誰にも言っちゃいけないよ、分かった?」
「はい・・・」
「私は中国に行こうと思っている。もちろん、堂々と行けるわけじゃないから、国を裏切って逃げることになる。途中で捕まって死ぬかもしれない。でも、農村に行って死ぬか、中国に逃げる途中で死ぬか、死ぬのは同じさ。私はもう決めた。あなたたちはどうする?」
「・・・・・・」
「どうしたい?」
訊かれるまでもなく、私と弟の答えは決まっていました。母は私たちに答えを求めるというより、自分の決断に確信を持ちたかったのかもしれません。
「お母さんについていきます」
「よし、分かった。それじゃ、私が準備をするから、もう少しだけ辛抱して」
そのとき、母は何をどこまで考えていたのかは分かりませんが、私は、ただ何もかもが漠然としていました。今まで自分で考えて、自分で決めて行動したことがなく、ただ大人たちの言いなりに従うだけだった私でした。
今回の母の決断についても、自分で状況を考えるというよりは、母にすべてを丸投げしたようなものでした。母が中国に行くというから行くしかないとは思いましたが、中国に行ってからはどうなるのかということは全く想像できませんでした。
ただ、私が根拠もなく信じていたことは、無事に中国に到着さえできれば、そのあとは自由だ(その自由というのも、自分でもよく分からないものでしたが)ということでした。
次のページへ ...