◆ママ大丈夫よ~悲しみから抜け出させてくれた娘
震災から1か月後のこと。娘のゆうちゃんは、亡くなったしょう君の写真立てを、抱きしめ離そうとしなかった。「死」の意味はわからないかもしれない。だが、おなかの中から一緒だった双子の不在を感じたのだろう。

「悲しみのあまり、そばにいる娘の心のことを考える余裕もなかった。毎日泣いていて、娘にとっては今までの母親ではなくなってしまった。娘にすれば、きょうだいと母親をなくしたも、同然だったと思います」とたかいさん。
ゆうちゃんは、ママを幼いなりに必死に慰めてくれた。「ママ、大丈夫。しょう君は近くにいてくれるから」。ヨシヨシしてくれたり、あるときは台所の片隅で泣いているところに「ハイ、どうぞ」と大きな大根を抱えてきたり。
3年目の1月17日、たかいさんは、しょう君の名が刻まれた西宮市の震災記念碑公園「追悼之碑」へ。その名を見ているうち、はっとした。「娘の名前でもおかしくなかった」。ゆうちゃんは「生きていてくれた子ども」だったことに気がついたという。
震災から5年目の1月17日、たかいさんは、しょうくんの名を冠したブログを始めた。表面上は笑顔も戻っていても、実際は、傷ついたままの心の人たちがいることを知ってほしい、そう思ったからだ。言葉にすることは、たかいさんにとって、ぐちゃぐちゃになった心を少し整理することができる、意味のあることだった。

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