◆日本のウラン鉱山、人形峠
R:小出さんは人形峠に行かれたことがあるとのことですが、人形峠は今も危険なのですか?
小出:もちろんです。1954年に日本の原子力開発が始まったのですが、1955年の暮れに人形峠でウランが出ることが発見されて、一躍宝の山のように報道されたのです。
それからほぼ10年かけて試掘が繰り返されたのですが、結局、大したウランは取れませんでした。掘り出されたウランの総量は85トンしかなく、その 分量で例えば100万キロワットという標準的な原子力発電所の燃料を供給しようとすれば、半年分にも満たないというほどの本当にわずかなものしか取れな かったのです。
その一方で、人形峠周辺には、45万立方メートルもの、ウランを含んだ残土が野ざらしで捨てられていました。それが分かったのは1988年のことで した。それ以降、住民たちが何とか自分たちが被曝をしないようにしてくれと要求をしましたが、国の方はもうどうにもできない、諦めなさいということで、何 の手立てもしてくれませんでした。
R:放置されたのですね。
小出:住民は裁判に訴えることにしました。最高裁まで争った結果、国が悪いという判決が確定しました。つまり、住民の土地に放射能を含んだゴミを野ざらしにするのは国が悪いのであって撤去しなさいという判決が出たのです。
R:その土はどこへ撤去されたのですか?
小出:どうしたかというと、日本の政府は国内には撤去する場所がないということで、アメリカ先住民の土地までそれを運んでいって、捨ててきました。
R:ひどいことをしますね・・・・・・。
放射能関連施設が都会に作られることは決してなく、福島や福井、青森といった地方に、お金をばらまき押し付けてきた。原発の燃料となるウランもまた、海外 から輸入することで、採掘現場に住む人たちに被曝を押し付けている。こうした構図は原発だけでなく、米軍基地や食糧問題などでも言えることだ。問題の本質 が見えにくくされているが、決して見過ごしてはならない問題である。