北朝鮮の最大実力者だった張成沢(チャン・ソンテク)氏の粛清・処刑が世界に与えた衝撃は甚大であった。外から窺い知ることができない北朝鮮の体制中枢で は、実は深刻な権力闘争が繰り広げられていたことが明らかになったし、いまだに反革命を名目に処刑を行う政治体制であることが再確認され、そして金正恩と いう若い独裁者が「叔父殺し」を断行する人物であることを知らされたのである。
それでは、当の北朝鮮に住む人々にとって、この張氏の粛清・処刑の衝撃は、どのようなものだったのだろうか。
アジアプレスの北朝鮮取材チームでは、昨年12月初旬の張氏粛清から二月末半ばまでの間、北朝鮮国内の取材パートナーたちと40回以上通話してきた。使用しているのは、北朝鮮国内に投入している中国キャリアの携帯電話である。
彼る彼女らが伝えて来る情報は身も凍るような内容が少なくなかった。張氏に連なる軍や党の知り合いの幹部が処刑されたり、通勤途中に行方不明になったり、あるいは親戚たちが連座して逮捕されていったなどの情報がひっきりなしに届けられた。
平壌から昨年末に届いた知らせでは、ある張派系の幹部の自宅アパートに国家安全保衛部(情報機関)の捜査が入った際、当人は飛び降りて自殺、家族はそのまま連れて行かれてそれきりだという。
両江道の恵山(ヘサン)市の党のある高級幹部は、連日張氏と関連について調査を受けていたが、12月中旬に通勤途中に行方不明になった。
「家族が必死になって探していたが、同僚に聞いても、警察に行っても、口を濁して誰もはっきりしたことを言ってくれないと嘆いていた」
第三の都市・清津(チョンジン)市では、張氏系列の軍部傘下の水産物企業の幹部軍人数人が銃殺になったという。またこれは真偽の確認のしようがない のだが、張氏本人の処刑には、銃ではなく迫撃砲が使われ、細切れになった遺体は火炎放射器で焼かれたという噂が、広く住民の間で流布され信じられている。 (両江道の行政職の協力者)
張氏処刑直後からしばらくの間、人民班(末端の行政組織で隣組のようなもの)や職場では、度々集会が持たれ、当局は住民たちに対して「張氏がいかに悪い奴か」を宣伝していた。
「全住民が『自白書』を書いて提出させられました。張氏の何が悪かったと思うのか、自分はしっかり党の領導に従って活動してきたのか、自己批判を書けというわけです」(両江道の協力者)
次のページへ ...