「80年前のことに、こんなに人が来るのか」って、びっくりして、隣に座っていたおばあさんに「すみません、どなたが亡くなったんですか」って聞いたら、「兄です」という答えが返ってきました。
「えっ、お兄さんって。震災は80年前ですよね」って言ったら、おばあさんは「震災じゃなくて空襲です」。この時、空襲と震災の被災者を一緒に法要していたんですね。たしかに両方とも、町が壊滅した出来事ではありますが、出席者の多くは東京大空襲の犠牲者の遺族でした。
そのとき、法要をやっている慰霊堂の外から、朝鮮舞踊のリハーサルの音が聞こえてきた。午前中は東京都が主催する法要で、午後からは同じ公園で朝鮮人犠牲者の追悼式が行なわれる予定だったようです。
そのときに「あっ」と気づいたんです。
僕の隣に座るおばあさんは、空襲でお兄さんをなくした被害者なのは間違いない。だけど、もしかしたら、彼女のお父さんあたりは関東大震災の時は、殺した側だったのかもしれない。
東京には、殺した人びとと、殺された人びとの子孫がともに暮らしているんだ、と気がついたんです。「隣人を殺した」という意味では、ルワンダやユーゴ内戦とも重なって見えたんです。
そのことが忘れ去られたり、隠蔽されたりするということは、おかしい。昔のことではない、今とつながっている歴史として、朝鮮人虐殺のことを伝えなければ、と思いました。(つづく)
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