今年3月、「九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響」(発行:ころから)が出版された。執筆に当たり、当時の書籍や 史料など、膨大な記録を読み、調査した加藤直樹さん(46)は、命をかけて朝鮮人を守った当時の日本人たちもいたことを知る。その多くは朝鮮人の同僚や友 人を持つ、普通の市民だった。
(聞き手:アジアプレスネットワーク編集部)

2009年に墨田区に建てられた「関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」は、地域の人の協力も得て、きれいに護られている(2013年 撮影:yekava roboto)
2009年に墨田区に建てられた「関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」は、地域の人の協力も得て、きれいに護られている(2013年 撮影:yekava roboto)

 

◆人の「名前」を剥ぎとり、記号化することの危険性
加藤:
今回、関東大震災の朝鮮人虐殺についての本を出版して、わかったことのひとつは、多くの日本人が朝鮮人を殺害しているさなかに、朝鮮人を守ろうとした日本人もいたということ。かれらのほとんどは一般の市民でした。

なぜ普通の人たちがそういう行動に出たのか。目の前の「朝鮮人」が仲間や友人だったからです。町工場の同僚だったり、親方として雇っている労働者だったり、大学の同級生だったりです。仲間、友人が殺されそうになった時、守るのは普通のことだと思うんですよね。

江東区の話ですが、日本人と朝鮮人の夫婦が暮らしていた。そこに自警団が家に乱入して、妻の目の前で朝鮮人の夫を殺したという証言を読みました。そ の時に「レイシズムって、こういうことなんだ」と見えてきた。具体的に誰かの友だちだったり、夫だったりする人の「名前」を剥ぎとり、記号化して、「こい つは朝鮮人だから殺す」と。

当時、多くの朝鮮人は日本に来てまだ2、3年しかたっていなかった。それでも、地域の人たちとつながりがあったんです。ところがそこに「奴らは人間じゃない」という人たちが現れる。そういう所業だな、レイシズムは、って感じました。

「九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響」(発行:ころから)
「九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響」(発行:ころから)

朝鮮人は山賊の類であるかのような報道が、関東大震災前にもメディアをにぎわしていました。今も、韓国人や在日が異常な人びとであるかのような言葉をネットでたくさん見かけます。

そんなのが大量に出回っているから、影響を受ける人も出てくる。行き着く先は「あれは人間じゃない」となり、「人間じゃない」となると、最後には「殺してもよい」ことになります。ユダヤ人虐殺もそうでした。

最近では「彼ら(中国)に心を許してはならない」といったサブタイトルの本まで出ている。なぜ心を許してはいけないのか。心を開いてしまうと、相手が人間だとわかってしまうからです。

人として出会うことを妨げようとする、そうした傾向がいま、大きくなっている。そういったものに、巻き込まれない目を保たなくては、と僕は感じます。日本社会が過去も現在も直面し、向き合わなければならない問題はそこにあると思います。(了)
【アジアプレスネットワーク編集部】

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関東大震災と朝鮮人虐殺事件
1923年(大正12年)9月1日、相模湾沖を震源とする大地震は関東地方に多大な被害をもたらした。震災直後の混乱のなかで、「朝鮮人が井戸に毒を入れ、放火してまわっている」などとする流言蜚語が飛び交い、東京や横浜などで朝鮮人が戒厳軍や自警団などによって殺害された事件。朝鮮人のほかにも中国人、社会主義者や労働運動活動家らが多数殺害されている。
加藤直樹(かとう・なおき)
1967年東京都生まれ。法政大学中退。編集者。出版社勤務を経てフリーランスに。「九月、東京の路上で~1923年関東大震災ジェノサイドの残響」が初の著書。

 


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