NHKの新会長になった籾井勝人氏、そして籾井会長を選出した経営委員会の委員たちの発言が国内外に大きな波紋を広げた問題は、いま も収束をみていない。私たちが支払う受信料で運営される「公共放送」は、いまや「安倍さま」の所有物と揶揄されるほどに劣化。政治権力との距離はかつてな いほど狭まっている。それは、市民にとってどんな意味を持つのか。「NHK問題」を考える。(矢野宏、栗原佳子/新聞うずみ火)
◆会長就任会見で「政府が右というものを我々が左というわけにはいかない」と発言
いまも「NHK問題」は、各メディアで報じられる。その発端は1月25日に行われた籾井勝人新会長の就任会見だった。
「政府が右というものを我々が左というわけにはいかない」 「(秘密保護法は)通ってしまったのだから仕方ない」 「『慰安婦』は戦争地域にはどこでもあった」
言論機関のトップとして不見識な発言の連発だった。
その後、国会で追及の矢面に立たされると、「慰安婦」発言などを取り消すというドタバタぶり。ところが軌を一にして経営委員の言動が問題化した。作 家の百田尚樹氏が、東京都知事選で田母神俊雄候補の応援演説に立ち、「南京事件」「東京裁判」などで独自の歴史観を披露、埼玉大名誉教授の長谷川三千子氏 は朝日新聞社で拳銃自殺した大物右翼の追悼として、憲法を否定するような一文を寄せた。
◆01年、NHK「慰安婦」番組で政治介入
武蔵大教授(メディア社会学)の永田浩三さんは冒頭の会長就任会見に大きな衝撃を受けた一人だ。
「前代未聞の就任会見でした。『慰安婦』発言にしても不勉強すぎます。去年、大阪市の橋下市長があれだけ叩かれたのに、現実を知らず、週刊誌などの『俗論』に毒され暴論を吐いている。情けないです」
永田さんはかつてNHKで番組制作に携わっていた。2001年に放送された教育テレビ『ETV2001』シリーズ「戦争をどう裁くか」の番組担当プ ロデューサーだった。シリーズの第2回「問われる戦時性暴力」の内容が国会議員らの圧力で放送前に改変された事件の当事者である。
番組のテーマは「慰安婦」問題。被害女性たちの尊厳を回復するため東京で開かれた「女性国際戦犯法廷」の意義を考えるというものだった。
2001年1月30日の放送日前日、NHKの幹部らが国会議員との面会を終え局に帰ってきた直後、改変が指示された。一言一句、事細かなものだった。元「慰安婦」や元兵士らの証言などがカットされ、結果、放送時間は土壇場で、4分も短くなった。
その後、国際戦犯法廷に取り組んだ民間団体がNHKや制作会社を提訴。永田さんは高裁の法廷で、改変のいきさつを証言した。その後、永田さんは番組 制作の現場を外されるという懲罰的な人事を受ける。退社し、『NHK、鉄の沈黙はだれのために』と題した本を世に問うたのは「事件」から10年後のこと だった。
NHK幹部と面談した政治家は、当時官房副長官だった安倍晋三氏、中川昭一氏(故人)、古屋圭司議員=現拉致問題担当大臣ら。
「安倍さんは『公正・公平に』。『勘ぐれ』とも言ったそうです。直接言うと、事前検閲だという感覚はあったのでしょう」と永田さんは言う。
判決では「NHK幹部が政治家の意図を忖度(そんたく)した」とされた。政治介入のトーンは薄められた。
NHK幹部が面談したのは自民党の保守派議員でつくる「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の面々。安倍氏は事務局長だった。(つづく)
【矢野宏、栗原佳子 新聞うずみ火】