「九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響」(発行:ころから)が出版され、ネットや口コミで広がりをみせている。著者の加藤直樹さん(46)は、関東大震 災の朝鮮人虐殺について、絶版書を探し出すなどして記録を丹念に調べあげた。在日コリアンや韓国・朝鮮人への排外デモが公然と街頭に登場するなか、過去と 現在を結ぶまなざしから、日本の排外主義の系譜をえぐりだそうと著書は試みた。「これは単なる昔の事件ではなく、現代のヘイトスピーチ(憎悪扇動街宣)に つながっている」と加藤さんは話す。
(聞き手:アジアプレスネットワーク編集部)
◆執筆のきっかけは大久保の差別排外デモ
加藤:
2012年の夏頃から在特会(※)などのレイシスト(民族・人種差別主義者)集団が、新宿区の大久保でデモを始めました。デモの後、かれらは、「お散歩」 と称して、韓流ショップの並ぶ路地に入り込み、「朝鮮人を殺せ」などと叫んで、店員や韓流ファンに嫌がらせをするんですね。その様子を動画サイトで見て、 「これは、さすがにひどい」と思いました。
僕は大久保で生まれ、20歳までそこで育ちました。韓流タウンと呼ばれるようになったのは最近ですが、大久保はもともと他の町に比べれば在日コリア ンが多い地域でした。だからこの町に他人がやってきて「朝鮮人は出て行け」とか、住民のあいだに勝手に線引きをするのが許せなかった。2013年に入っ て、しばき隊(※)の人たちが、レイシストの「お散歩」の阻止行動を始めたのを聞き、僕もその現場に行きたいと思ったわけです。
初めて現場へ行った3月にはすでに「お散歩」は阻止されて、レイシストは路地に入り込むことができなくなり、闘いの焦点は車道で行われる彼らのデモ への抗議に移っていました。抗議には、しばき隊のほか、ネット上で呼びかけあって集まった「プラカ隊」が参加していました。抗議のプラカードをもってデモ が通る沿道に立つ人びとです。「隊」というのは通称で、しばき隊のようにひとつのグループというわけではなくて、呼びかけに応じて集まった個々人の有志た ちです。
しばき隊は、レイシストが大久保通りをデモする時、それに並行して歩道を歩きながら、大声で彼らをののしります。僕はなかなかそれについていけなくて...。でも、ののしることが、しばき隊の戦術であって、その意味もわかる。
ただ、一緒に現場に行った友人たちで飲みに行った時、「僕らとはセンスがちょっと違うよね」って話をしていたんです。それで「僕らは僕らのやり方で大久保での抗議に参加しよう」と、友人たちに声をかけて、「知らせ隊」っていうグループをつくりました。
レイシストのデモに併走していた時に気づいたのが、沿道の人たちは何が起きているのか、よく分らないということでした。しばき隊やプラカ隊の抗議 も、ケンカが起きているという感じにしか見えない。だから沿道の人にもわかるようにビラをまこうと。それが「知らせ隊」の活動です。
「こういう人たちが通るので、私たちはレイシズムに抗議しています」とビラをまいて「お知らせ」するというアイデアです。大久保に来ている人たち、観光客などにも、すごい反応がありました。
次ページへ >>